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自己紹介をしたいのだけど。(個性は誤差、誤差こそ個性)

はろー、はろー、聞こえますか?
この文章は、どこか遠くにある「ナニカ」に向けて書いています。

それは人なのかもしれないし、人ではないのかもしれないし、この文章に(どういうルートでか)辿り着いたあなたなのかもしれないし、あなたではないのかもしれません。

遠くに、遠くに、飛ばしてみたい。
そうして返ってくる(かもしれない)「ナニカ」を待ってみたい。
そんな、自分でもよくわからない欲求を元に書き綴っています。

さて、そんなわけで。
はじめましてなので、まずは自己紹介(のようなもの)をしてみようと思います。

名前は「MANA」といいます。
地球に住むヒト科の生き物で、人間です。性別は女性。
誕生してから、今日で37年7ヶ月と2日が経ちました。何時間何分何秒まで出すこともできますが、この文章を書いている間にも時は刻まれていくので、そこまで書くのはやめておきます。

書きながら、不思議と宇宙と交信しているような気持ちになってきたのですが、そうなると困ったことが。
もし、もしも。この文章を、いわゆる「宇宙人」とされる人が読むのだとしたら、自己紹介って上記の3つぐらいしか思い浮かびません。

職業って関係なさそう。住んでいる都道府県って関係なさそう。家族構成も関係なさそう。血液型とか星座とかも関係なさそう。
自己紹介として成立しそうな「前提を共有できる項目」って、もはや「どこの星に住んでいるか」ぐらいしかないのでは? 
(そもそもこの言語が読めるのか? という問題もありそうですが、そこのところはまぁ良いとします)

あー、あとはそうね、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す「呼吸」と、「食事と排泄」「睡眠」によって「個の生命体としての命」を繋ぎながら生きていて、主に男女の性交によって遺伝子を後世に残す「人間という種族としての命」を繋ぎながら生きている、とかはいいのかもしれない。

なんてことを考えながら、テーブルの上に置かれたほうじ茶&ティークリームラテを手に持ち、口内にひんやりとした甘さを感じながら、店内をグルッと見渡してみる。
スタバで思い思いに過ごしている人たち。みんな同じ人間。それぞれ姿形は違い中身も違うけれど、どのように出来上がっているか? どのように生を繋いでいるか? などの大元は同じ。
そう考えると、さまざまな違いは「誤差」でしかないのかもな?
でも、私たちにとってその「誤差」は立派な「個性」であり、私を私たらしめるものでもあります。

「私」って、なんだろうな?

(というかこの記事、自己紹介(のようなもの)のために書き始めたんじゃなかったっけ?)

曲がりなりにも37年。日数にすると13,729日。時間にすると・・・しないでおきます。
とにかく、それだけの時間を生きてきたからには、それなりに様々なことを経験してきました。いろんなことを思考してきたし、いろんな感情も味わってきました。

その過程で「私」という人間について認識したことはたくさんあって、それらは例え誤差であったとしても、やっぱり大切なアイデンティティ。
というか、誤差だからこそ、その繊細な違いをキャッチして認識していくことが「私」を形作り、輪郭線を濃くしていくことに繋がります。

けれど、それに囚われすぎたり、頑なに拘りすぎるのも、やっぱり違うんだろうなと思います。だって、そもそもが誤差でしかないから。

私たちは「誤差」にこそ拘り、「誤差」こそを手放すことで、具体と抽象を自由に行き来して、捉えられる「私」をより大きなものにできる。
そんな気がしています。

ここまで「誤差」という言葉を使ってきたけれど(タイトルにすら使っているけれど)、「誤」という漢字があまり良い感じがしないので、別の言葉に置き換えておきます。
何がいいかな。とりあえず「相違」にでもしておきます。「差異」の方がいいかな? まぁ、どっちでもいいか。

そんなわけで、自己紹介(のようなもの)をしようと思いましたが、まんまとよくわからない話になりました。
こういうことを考えながら生きています。
MANA、37歳、フリーランス歴11年の横浜暮らしの女性です。

どうぞお見知りおきください。

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