日本の清浄性と忌中を考える
◆現代日本に遺る「忌中」という習俗
令和4年2月、母の葬儀の日。実家に戻ると玄関には「忌中」の文字があり、葬儀社の手によって神棚は半紙で覆われた。玄関の鏡も同様の姿になっていた。なぜか。
「四十九日までは。神だなに半紙をはっておく。また、死者を出した家の者は、鳥居をくぐらない」(福井県細野)
「死者の家は。中陰の間は神だなを半紙でおおい、神事に参加しないことがある」(京都府湯船)
実家で見たのと同じような姿は、当時(昭和30年代)のわが国には普通に見られた風習だったことを文化財保護委員会が行った無形の民族文化財の緊急調査が教えています(昭和37年度~39年度)。(片岡耕平『穢れ神国の中世』より)
同書によると、このような風習は、人間の出産や死などによって「穢」が生じ、「触穢」(穢に接触)した人の行動制限を求め、神事・仏事を暦どおりに行う支障にならないようにするという考えに基づいているといいます(以下同書より)。
◆忌中の原点は千年以上前の法令にあったという驚き
このような風習の起源を求めていくと、なんと平安時代の律令の施行細則である「式」に行き当たります。「延喜式」(905年)には、たとえば次のような定めがあります。
穢忌条:凡そ穢悪しき事に触れ、応に忌むべきは、人の死は三〇日を限りに(葬日より始めて計えよ)、産は七日、六畜(鶏は忌みのかぎりにあらず)、その宍を喫らば(この官は尋常これを忌め、但し祭の時に当たりては余司皆忌め)
基本は、祭祀に参加する者が守るべき行動規範です。驚くことにこのような定めは、明治初頭に太政官布告で廃止されるまで生きていました。
あらためて政府が廃止を宣言するということは、習俗として穢れという観念が定着していた証拠ではないでしょうか。
私の実家で見た半紙で神棚をおおう姿は少なくとも千年以上前の為政者が定めたルールに起源があったのです。日本の習俗の継続力には驚かされます。
◆「忌中」の意味は何か
それにしても法令で人の死による穢れを30日間=「忌中」と定めた意味は何かという疑問が沸いてきます。
「穢」による行動制限とその解除。解除で得られる状態は、「穢」のカウンター・コンセプトは「清浄」です。先人は、清浄な状態を保つために内裏への参内することを規制し、これによって祭祀、すなわち神の清浄性を保とうとしたのです。
もし神と穢とが接触することがあれば、神事や仏事が予定通り行われないことで天変地異や疫病の大流行などの災いが起こる原因になると考えられていました。
平安時代、このような因果の論理で政治は行われていたので、災厄が起これば、その責めは最高責任者である天皇に及ぶとの構図です。神を崇敬し、神の清浄性を守護することが天皇の役割だったのです。それゆえ内裏に「穢れ」を持ち込まないように、参内できる人を限定しました。
穢は、死体や動物の死骸など可視化できる具体的な存在に関係するものですが、穢そのものは可視化できない観念的なものです。ある対象を不浄視するということを起源とした習俗を千年以上も続けてきたということです。
内裏という当時の政治の中心から清浄性の維持はスタートし、畿内の神社を清浄な領域としていくこと、そして国司という地方長官から各地の神社に相似形的に清浄の精神とともに穢の観念が伝搬していきました。さらに神社に出入りする人々にその精神と観念が広がり、現代に至ります。
◆現代日本の宝である清潔さの源泉?
街やトイレが清潔なことに海外からの来訪者は驚くとよく言われます。
2018年7月開催のロシア・ワールドカップでは、敗戦した日本チームが更衣室を清掃して去ったこと、日本のサポーターがスタジアムのゴミ拾いをしている姿などが世界の注目を浴びました。
学校教育の中で放課後毎日、掃除をするのも世界的には稀なる習慣のようです。
多くの国民が毎日、お風呂に入り、シャワートイレが普及する国、日本。
世界が驚く現代日本の清潔さの源泉の一端が、神の清浄性を維持することを目的にした行動制限のルール(延喜式)にあるのかもしれないと考えると、日本における継続の力、保存力の凄さに驚かされます。ロマンさえ感じます。
形骸化したとはいえ、「忌中」という形で現代に残存する清浄の精神と穢の観念は、日本の宝である清潔さの原点としてもっと注目してもよいのかもしれません。日本には、まだまだ使っていない眠れる素晴らしい宝物がある。そう確信しています。
※忌中の他に現代日本が保存している2つの期間
中陰という期間
喪中という期間
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