何を書こうか迷う。発信の本質とは?

小さな団体の経営者として、4年以上祭りのことを考え続けている人間として、発信の重要性を何度も問われていながら筆が進まず早二年ほど...。

しかし、今日は偶然早起きして朝から散歩で根津神社にお参りして帰ってくる途中にふと「発信の優先度をあげよう」と思えたので、まず動いてみることにした。

でもいざ久々にnoteに向き合うと、何を書こう、となってしまう。ネタはいろいろあるはずなんだけど、誰に向けて書くのか、何を書くのか。ああやっぱりもう少し整理してから書こうかな、、、と止まりそうだったので、このままで書くことにした。

さて自分はなぜ迷ったのか。今もこうして「書いて」いるのに。
それは、『誰かにとって有益なものでないと発信する価値がない』と決め付けているからなんだと思う。価値を決めるのは受け取る側なのに。

企業のマーケティングやPRならまさに誰かにとっての有益が求められるのだと思う。でもそれって発信というより、営業とか広告だよね。

「発信」ってその字の如く、起点はあくまで自分なんだよね。発信したものがきちんと届いているか喜ばれているかはやっぱり二の次で、その本質は「私が思うことを何かしらの通信手段を通じて発する」ことなんだと思う。

noteさんは親切にも「noteのヒント」として一番上にこんな項目を上げてくれている。

誰かにとって価値があってもなくても、発信する行為自体を目的として、楽しみ続けてみよう。


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