声について、言葉について

『あんもの変顔サイコー!!』

高校の卒業アルバムにはこんなことがよく書かれている。高校生の頃、あることがきっかけで言葉がうまく出なくなった。いわゆる「吃音症」というものだ。(※あんもは私のあだ名です)

当時の自分にとって「面白い」と言われることがアイデンティティだったから、言いたい言葉をうまく言えなくて吃ってしまう自分が必死に身につけたのが、変顔だった。変顔をすれば、言葉を言い換えなくても、言葉を出さなくても笑いが取れた。鏡の前で何度も練習して変顔を磨き、なんとか自分を保っていた。

母親からの勧めで手に取った三島由紀夫の小説「金閣寺」を読んだ時の衝撃は今も心の中に残る。最終的に惨事を起こす主人公の気持ちに共感するところがあったからだ。人には言えなかったけれど、当時とても辛かった。

そんな自分のことを案じてか、大学受験を終えたタイミングで母親はある施設を紹介してくれた。吃音症やあがり症専門のクリニックで、結果的に大学一年の春までの1年間、そこに通うことになった。安くはない金額だったが、親が全面的にサポートしてくれた。誰にも知られたくなかったので、こっそりと通った。

そこでは、吃りは単なる声の問題ではなく心や脳と関係していることを学んだ。そして、バイオフィードバックという方法で、ひたすら自分の声を聞く訓練をした。(骨伝導の声でなく、空気伝導の声を聞く訓練。詳しい方法論はここでは割愛する。)おかげで、修了する頃にはだいぶ吃りも改善されていた。

今でも、滑舌は良くないし、たまに吃る時がある。ちょうどさっきもあるzoom会議で、「あ、僕どMなんで」というウケを取るための言葉が明瞭に出せずうまく伝わらずショックだった 笑

3ヶ月前からプレゼンを磨くため友人が経営する音楽教室のボイトレコースに通っているのだが、そこで教わることのエッセンスは、「自分の声を聞く」ということに尽きる。聞ければ、チューニングできる。まさに自分が高校時代にクリニックで教わったことと一緒。だからスッと入ってくるし、なんだか当時の思い出も蘇ってくる。

そのクリニックで、先生が当時18歳の自分に一つアドバイスをくれた。

「大原くんは、もっと大きく志を持つといいよ。」

20年経った今、その言葉が深く自分の胸に響く。




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