結局、最後は目的

昨日は、とある人とお話をする機会をいただきました。
否、正確に言うと…僕がほぼほぼ一方的に喋り倒していました。
その中で、彼が引っかかったり気になったりしたところにリアクションをしてくれるという展開でした。
めちゃめちゃ忙しい中、時間を取ってくれた彼に感謝です。
ホント、思ってるからね!!

その中で、僕がボヤいたことがあります。

「職場の若者が挨拶を返してくれない。」
「すぐに難しいと言って思考を停止してしまう。」

それを聞いた彼は言いました。

相手がリアクションをしなければいけないような仕掛けをして挨拶はしたの?
何が難しいのかって質問はしたの?

その言葉を聞いて、僕は思いました。

「なーんだ。悪いのは僕の方だったんだ。僕が一手間を怠っただけなんだ。
 やっぱり、僕って他責なんだな。。」

するとまた、彼は言いました。

「人間はね、みんな他責なんだよ。」

ホント、いろいろと教えてくれました。

彼と話していると、自分の考えの薄さを気付かされます。
そういえば、前にこんなことを言われた記憶があります。

「自分では深く考えているって言うけれど、それは本当なの?」

僕は、そのときから何も変わっていないのかもしれません。。

昨日、自分の考え方の薄さを気付いたのは、僕には目的が欠けていたからです。
人が何かを話したとき、
人が何かの行動をしたとき、
自分では何とも思っていなくても、目的はあるはずです。
例えば、僕がどうして note を書くのか。
これにも目的があるんです。
ま、わざわざ書くまでもありませんが、、

話は逸れますが、目的に意外にも承認欲求があるんだと思います。
誰かに認めてもらいたい。
気持ちに濃淡があれども、そこがあるんだと思います。
きっと、誰にでもある欲求だと思いますが。
SNSに恋人との写真を投稿したり、
旅行の写真や食べ物の写真を投稿したり、
よくある光景です。
恋人との時間を自慢したい人もいるでしょうし、
自分のキラキラした時間をアピールしたい人もいるでしょうし、
本人が自覚しているかどうかは別にして、目的と承認欲求が必ずあるんです。

問題は、それを自分で理解しているかどうかだと思います。
自分の言動で、何をしたいのか。
自分の言動で、周りにどんな変容を与えたいのか。
その目的をしっかり持った上で言動できているかどうかが大事なんだと思います。
そして、そこを深掘りできるかどうかが重要なんだと思います。

ということで、これからは自分自身に問いたいと思います。

「これからしようとしていることは、何の目的があるのか?」
「今さっき、したことは何の目的があったのか?」

これを意識することができたら、これを深掘りしていくことができたら、どんどん成長できる予感が…。
皆さんは、どう考えますか??

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