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誰かと働くこと、なにごとかを成し遂げること

私たちの社会には原理的に分業が組み込まれています。外食をしないで自炊をしても、材料の米や小麦から調理器具やら果ては電力ガスに至るまで無数の人の手によって利用可能なものになっています。もちろん、中間成果物(料理へのインプットのように)にある程度の独立性があれば、貨幣によって、他人との協調を省略できる部分もあるわけですが、なにごとかを成し遂げようとしたとき、仕事や学業において成果を望むとき、誰かの手を借りることが重要になります。

仕事だとチームワークはわかるけど、学業は一人で完結するのでは? と思われる方もいるかもしれません。しかし、書物や論文をモジュールとしてそれ以外は完全な単独行為とするというのはかなり効率が悪い。わからないことがあり、書きことばではいまいち何を表現しているのかがわからないときにでも、誰かが話したことだとすんなり入ることもあるのです。もしもスタイルではなく、成果を追い求めるなら、そうした機会は積極的に利用した方がいい。

仕事でもそうなんですが、完成品だけを見ると、モチベーションがよく分からなくて理解できないことがあります、少なくとも私には。こうなってああなってそうなる、は理解できても、そもそもなぜこんなことしようとしたの、ということがわからないと腹落ちしないのです。抽象的な説明だけではわかりにくいことも卑近な説明なら納得いくことがたくさんある。たとえば、経済学の限界概念は字面だけ見るとわけがわかりませんが、テストを控えた学生にとって、累計勉強時間が10時間のときの1時間のテスト対策と、累計時間が100時間のときの1時間のテスト対策では、前者のほうが効果が大きいだろうと直感的にわかると思います。このように追加的な1単位に着目するというのが限界の考え方です。これならまだ紙に書けますが、書きことばにできないような話の方がわかることもあります。もしも、そこにいくばくかでも効率化の余地が見出だせるなら、成果を求める限りにおいては他人に聞くべきでしょう。

あなたが情報の担い手であったとしても、聞き手に正確に情報が伝わる蓋然性が少しでも高まるならば、書いた資料を渡すだけではなく、口頭の説明を足すでしょう。それが理解だけではなく、自分ひとりではできないことを複数人で実現しようという場合であったらどうでしょう。物事の実行力、計画性、問題解決力、どの要素も他人とのかかわりを重視するはずです。

成果を求める限りにおいて、他人は重要な道具です。しかし、よほどの強制力がなければ、他人は簡単には動いてくれません。相手も意志や感情をもった人間だからです。道具だとしてもとてもデリケートな道具だということです。他人への働きかけが問題になるとすれば、何らかの物事を成し遂げる上でどれだけその繊細なツールを傷つけずに使いこなせたか、うまく協働できたかということころになるでしょう。感情的なしこりが残ってばかりだと長期的には誰も助けてくれなくなるでしょうから。綺麗事ではなく、シビアに結果を出そうとすればするほど、他人にどう働きかけるかということが重要になるのです。

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