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僕が一番欲しかったもの

表題の名を持つ槇原敬之の曲がございますが、素敵なものを拾っては譲り、拾っては譲りとしていたら、最後に喜んでいる人たちが軌跡のようになっていて、それがほんとうに大切なものだと気づくというエンターテイナーの鑑のような曲ですね。マッキーのライブまた行きたいです。なお、カラオケでうまく歌うのは難しい模様。

自分は、金、と答えたいところですが、金自体は目的にはなりえませんね。金がほしいのは、死ぬまで今と同程度には楽しく暮らしをしたいからで、買いたい本があったときに困らないとか、食べたい者があったときに困らない(マクドナルドとかなんですけど……)とか、見たい映画があったときに困らない(クソ映画でも金出したいじゃないですか)とかそういうレベルで、ものすごい資産があるとかにはあまりこだわりがありませんね。維持するのも大変だと思いますよ。

では、金ではないとしたら暇でしょうか。それもちょっと違います。上に書いた娯楽を楽しみたいくらいの時間は欲しいですが、仕事にも楽しさを感じるものなので、FIREとか憧れたことないです。経済的に自律性をもてて引退が許される事態になったら、今よりもっとやりたいようにやるわ。究極の裁量労働するわ。

そう思うと、腹が適度に満たされている限りにおいて、自分の辿ってきた軌跡に、喜んでくれてる人がいるというのは割かと綺麗事ではないような気もします。お金貰わなくても感謝貰えば生きていけるとかは頭おかしいとは思いますし、私は聖人ではないので、素敵なものを欲しそうな人にあげずに抱え込んだりもするでしょうが、全部独占したいとも思わないので、まあある程度うまくやるでしょう。マッキーはどんなときも一曲でも食べていけるだろうけど、残念ながら私にはそんなものないのだ。といっても、振り返ってみたときに笑顔があるというのは理想でもあるし、現実的にも望ましいことなんだと思います。

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