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人間は、いつ「想像力」を大切にし始めたのか(後編)

(※この記事は2020/02/28に公開されたものを再編集しています。)

「想像力は大切だ」とロマン主義

 出力の安定した「理性」と、出力が不安定な「想像力」。歴史的には前者に軍配が挙げられてきた。かなり単純化して言えば、2000年以上、西洋の知識人たちはずっとその図式に基づいて物事を考えてきた。

 こうして長年続いた「想像力」に関する評価を覆したのは、ロマン主義(romanticism)と呼ばれる文学/哲学上の潮流である。19世紀頃、ロマン主義が力を持ったとされる。

 イギリスの有名なロマン派詩人、ウィリアム・ワーズワースが、盟友のS. T. コールリッジと一緒に『抒情民謡集(リリカル・バラッズ)』を出版したのがちょうど世紀転換期なので、この詩集は、ロマン主義の台頭を象徴させるのに都合がよく、研究者たちもこれを一つの画期とみなすことが多い(この本には、1798年, 1800年, 1802年の版がある)

「想像力は大切だ」と創造性

 では、なぜロマン主義者たちが、想像力を理性に対して優位に立たせることができたのだろうか。この疑問に答えなければ、「ロマン主義が想像力を大切にしたらしい」という単にトリビアルな情報を提供する役割しか、このコラムは果たせていないことになる。 想像力が大切だという発想が魅力を持って流通したのは、ロマン主義者が、「想像力」という観念と「創造性」を結びつけたからだ。詩人たち(特に先に名前を挙げたコールリッジ)は、当時の心理学や哲学が展開していた議論の影響を受けながら、想像力という概念そのものを時代に合わせてデザインし直した。

 コールリッジは、よく「科学者の眼」と「詩人の眼」を対比した。前者は、事実をそのまま見るので何も付け足さないが、詩人は何かを付加している。この科学者観、詩人観は大いに問題があるくらい素朴だが、少なくとも、このエピソードを通じて「創造性」のニュアンスは掴めるだろう。想像力によって、「そこにない何か」が生み出され、現実と結び付けられているのである。

「想像力は大切だ」と新しい常識

 ところで、改めて想像を働かせてみてほしい。200年ほど前、ロマン主義者たちの言葉が、彼らの知的活動が提示した「想像力は大切だ」という考え。それが、様々な偶然と必然の積み重ねによって、200年後、私たちの「常識」にまでなったのだ。

 なんというか、これは、驚くべきことではないだろうか。猫も杓子も、「想像力は大切だ」と口にするなんて、ワーズワースやコールリッジは想像してもいなかっただろう。だが、今から振り返れば、彼らは新しい常識へと至るドミノの、最初の一押しだったのだ。

 もちろん、ロマン主義者は何もないところから「想像力は大切だ」という発想を生み出したわけではない。それ以前の人たちから受け取ったバトンの延長で、彼らなりの発想を付け加えたにすぎない。しかし、彼らが、新たな常識を作る際に果たした役割の大きさは、それでもなお疑う余地がない。

 ロマン主義者たちの、こうした知的貢献に思いを馳せるたび、少なくとも、私は胸が熱くなる。エモいというか、知的に興奮するというか、とにかく楽しい。

「想像力は大切だ」と観念の探偵

 想像力は大切だという考えを当たり前のものとしてきた私たちは、それがいつどのように始まった考えなのかを気にすることがない。しかし、私たちが知的であるための一つのやり方は、自分の考えが、いつどのように生まれたのかを突き止めることだ。

 コラムニストで、政治学者のウォルター・リップマンは、こう語っている。

……各人が世界の小さな一部分にすぎないこと、つまり、観念の粗い網の中の姿や側面しか各人の知性が捉えられないことを、私たちの哲学が教えてくれるとすれば、……自分たちの考えがいつ始まり、どこで始まり、それらをどのようにして私たちが身につけ、なぜそれらを受け入れたのかを、私たちはますます明晰に自覚するようになるだろう。この意味で、あらゆる……歴史は腐るものではない。それによって、どんなおとぎ話が、どんな学校の本が、どんな伝統が、どんな小説・劇・言葉遣いが、この心にはある先入見を植えつけ、あの心には別の先入見を植えつけたのかを知ることができる。

W. Lippmann, Public Opinion, Dover

探偵のように、自分の観念が植えつけられた現場を特定すること。こうした反省性の重要さを訴えるのは、リップマンだけではない。例えば、山本七平が『比較文化論の試み』で似たことを言っている。しかし、これがありふれた見解なのだとすれば、なおのこと、私たちは過去を見て、過去から自分たちのことを学ぶべきなのだろう。

 今回の記事を通じて、想像力という概念の歴史を知るだけでなく、観念の探偵になることの楽しさを知ってもらえたとすれば、筆者としてこれ以上の喜びはない。(*)

ウィリアム・ワーズワース(1770-850) イギリスの詩人https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B9

サミュエル・テイラー・コールリッジ(1772-1834) イギリスの詩人・哲学者https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B8

W. リップマン『世論〈上〉』岩波文庫https://www.amazon.co.jp/dp/400342221X/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_WuSpEbSTKS1XP

山本七平『比較文化論の試み』講談社学術文庫https://www.amazon.co.jp/dp/4061580485/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_ZsSpEbSRQTPVK

(*)今回のコラムは、過去の研究成果を一部流用している。より詳しく知りたい方は、そちらを参照いただきたい。谷川嘉浩「ロマン主義的遺産の相続者、ジョン・デューイ : コールリッジとデューイの想像力論」
https://ci.nii.ac.jp/naid/4002136529


2020/02/28

著者紹介

谷川 嘉浩
博士(人間・環境学)。1990年生まれ、京都市在住の哲学者。
京都大学大学院人文学連携研究員、京都市立芸術大学特任講師などを経て、現在、京都市立芸術大学デザイン科講師、近畿大学非常勤講師など。 著作に、『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』(Discover 21)、『鶴見俊輔の言葉と倫理:想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学:ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)、『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)など多数。

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