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「社会教育士時代って何?」対談:岡幸江教授(九州大学)×上野景三教授(西九州大学)

今回の対談は、2022年2月11日にオンラインで開催された『令和3年度九州大学社会教育主事講習修了者研修』のトークライブを一部編集・再録したものです。

演者プロフィール

岡 幸江(おか さちえ) 教授(九州大学)

岡 幸江 教授

福岡県小郡市生まれ。九州大学教育学部助手を経て、埼玉大学准教授、2009年より九州大学大学院人間環境学研究院准教授、2021年より同教授。専門は社会教育学、地域教育論。日常の暮らしに向き合う学習・教育のあり方に基本的な関心をよせている。2009年より主事講習の主任講師を務め、各地の社会教育人材育成にも携わっている。著書に「地域学習再考―社会教育における共同の視点から」『教育学研究』第87巻第4号,2021年、「対話の文化に支えられた社会教育の学びを」『月刊社会教育』2022年4月号,旬報社など。

上野 景三(うえの けいぞう) 教授(西九州大学)

上野 景三 教授

1956年熊本市生まれ。1985年名古屋大学大学院博士課程修了。1987年弘前学院大学講師、1990年より佐賀大学にて講師、助教授、大学院教授を経て、現在西九州大学子ども学部教授。2015年~2022年佐賀県立男女共同参画・生涯学習センター事業統括を兼務。2015年~2018年日本公民館学会会長。2019年10月より日本社会教育学会会長。

編著書に『岐路に立つ大都市生涯学習』(2003北樹出版)、『子どもの生活体験学習をデザインする』(2010光生館)、『子ども・若者支援と社会教育』(2017東洋館出版)、『地方に生きる若者たち』(2017旬報社)、ほか多数。


岡:上野先生、「社会教育士時代って何?」というテーマで対談をしていきたいと思います。よろしくお願いします。

上野:はい、よろしくお願いします。

岡:早速ですが、何からお話していきましょう?

上野:これを読んでらっしゃる方の関心は、「社会教育士になったから何か良いことがあるの?」とか、「これまでの社会教育主事資格と一体何が違うの?」と、感じておられる方が少なからずいるんじゃないかと思います。あるいは、もっと関心がある方であれば、「社会教育士になったら私は何をしたらいいんだろうか?何ができるだろうか?」と考えている方もいらっしゃると思います。
私は、九州全体を見ていると「社会教育主事」はとても大事な仕事だと思っていたので、「社会教育士」になったからと言って、そんなに大きく変わるようには思えないんですよね。だから、あまり要らないんじゃないかなと思ったりもするんですね。

岡:お、大胆な発言ですね。私は、「社会教育士」ができたことによって、みなさんの現場ではまだ意識されてないかもしれないですが、社会の側が社会教育に関心を向け始めてきている感じがしているんですよね。これ、凄いチャンスだと思っていて。バブルは長くは続かないとも思っているので、このタイミングで「社会教育士」を真剣に考えて、しっかり展望を出していくことが、不可欠だと感じています。

上野:なるほど。九州の現場を見て、どう変わるのかなと思った理由は、実際に「社会教育主事」として発令されている自治体が九州の中でどれだけあるのかなという部分と関係しているんです。
例えば、佐賀県の20市町のうち、その半分は「社会教育主事」を発令してないんです。と言うことは、行政の内部では、「社会教育主事、要らないんじゃないか」というような認識が生まれているんじゃないかなと。そして、市町村合併が15~6年前にありましたが、これはスケールメリットを出すという話だったにもかかわらず、行政改革も並行して進んでいくので、せっかくスタッフが居るにもかかわらず、「社会教育主事」がいなくなったりとか。そして、1番影響が大きかったのは、県の教育事務所が統廃合されたことだろうと思うんです。佐賀県は、5事務所が2事務所になって、その2事務所には「社会教育主事」も発令されていない。
なおかつ、県の教育委員会にあった社会教育課が一般行政部局に移ることによって、「社会教育主事」発令をするのですが、「社会教育主事」は教育委員会におかなければいけないのだから一般行政に置いておいて一体どんな仕事するのか。教育委員会には「社会教育主事」を発令しなくていいのか、という具合に、混乱状況が実は起きているのではないかと思うんですね。

岡:上野先生は、まさに佐賀県行政を見ていらっしゃるから尚更なわけですよね。県単位もそうですが、市町村も大合併、そして、教育事務所もなくなったと。これ、県によって差がありますよね。福岡県の場合はまだ6つの教育事務所に約60人の「社会教育主事」を抱えています。佐賀も、また長崎も、県の教員籍社会教育主事枠はうんと小さくなってしまいました。

上野:そういった自治体が結構あるんじゃないかと思います。「社会教育主事」が発令されなくなってしまったという事は、資格と職が結びつかなくなってしまった。かつて、「社会教育主事」は指導主事と同格だったんだけども、それ自体が蔑ろにされていってしまったというのが、この30年ぐらいの動きなんだろうと思います。
一方では、公民館では積極的に「社会教育主事講習(以下、主事講習)」に出そうという自治体や公民館があるわけですよね。

岡:はい。複数ありますね、戦略的に派遣する自治体が。

上野:なぜかというと、公民館の専門性を担保したいとか、もっと資質を向上したいという思いがある。島根県の松江市ですが、公民館で「社会教育主事」を発令することを試みていました。ちゃんと法律をわかっているのかな、と思うようなことをやっている自治体もあったわけですよね。

岡:そうですね。

上野:よく考えてみたら、少年自然の家や生涯学習センターなどでも採用の時には「社会教育主事」の有資格者を採る。「社会教育主事」として発令することがないにもかかわらず、そういった「社会教育主事」の有資格者を採用の条件に挙げていたということを考えてみたときに、「主事講習」修了者である有資格者というのは、専門性を担保する1つの証明だったんだろうと思います。もし可能性があるとしたら、そういうところに期待を寄せていくしかないかなと思っていますが、岡先生、どうですか?

岡:いや、全くその通りです。まず各現場の厳しさというのは「主事講習」をやりながら実感しています。そして、主事講習はもはやすでに「養成」の場のみならず、「研修」の意味合いが強くなっていると思っています。職員の研修のための機会として活用する自治体が出てきているという実態は確かにあります。
それが現場を後押しし、現場の力になる側面があると思うので、それはそれで受け入れて、養成と研修の両面で「九大主事講習」は、九州に貢献していこうということは、強く意識してきました。
またこの間毎年、現地研修の準備で年6自治体を回らせていただき、地域や社会教育行政の現状に耳を傾けてきました。やはり、合併というのは本当に影響が大きいですね。自治体によっては7・8自治体が一気に合併してしまって、7-8人からたった1人に減らされた社会教育主事が膨大なエリアを見なきゃいけない。加えて施設を指定管理に出したり、一方施設の管理運営業務が入ってくる等、追加業務もあり、総じてものすごく多忙化している。広域化、多忙化です。「社会教育主事」が発令されていたとしても、その主事だけではもうどうにもならない状況があり、力が発揮できない。合併は如実に社会教育行政を弱体化させてきたと思います。
そういう意味では、行政の論理として、首長部局との関係で主事発令がなされなくなってきていると同時に、教育委員会の内部的にももたなくなってきているような状況が、この間ずっと市町村の中で起こっている。本当に厳しいと思いますよね。

上野:今のような話は、社会教育の100年くらいの歴史を振り返ってみたときに、最初からそんなに体制が充実していたわけじゃないんですよね。大正時代を振り返ってみると、「地方社会教育職員制」によって「社会教育主事」が配置されるようになりますが、それぞれの県に若干名しかいなかったわけです。
実際に社会教育を担ってきた層というのは青年団の役員たちだったわけです。実際に社会教育を進めていこうという人たちが、社会教育の指導者となって活躍をしてこられて、それが戦後の新しい社会教育体制の中でもずっと続いてきたのだと思います。つまり、一方で社会教育の職制が大事であるのと同時に、それを支えていくことができるようなリーダー層、社会教育指導者層、こういう人たちが分厚く居た時代があったわけです。
でも、そういった社会教育の関係団体が衰退していったときに、経験則でトレーニングを積み上げられていった社会教育団体の指導者たちの系譜を引く人たちというと、いったい誰なんだろうか、ということを考えたりするんですね。そこがNPO職員に期待がかけられるのか、どうなのかなと思ったりもするんですが、どうでしょうか。

岡:なるほど。社会教育の基盤をどこにみていくのか、という問いですね。「社会教育士」が出てくる段階に至って、1つにNPOに期待がかかってきているのは確かにあります。特に社会教育の広がりや新たなつながり、という意味で。だけど、単に言葉だけでNPOとつながりましょうと言っても、NPO側からすると「?」という感じの話なわけです。だから「社会教育士」の是非というよりは、どういう条件を作っていくと「社会教育士」が生かされるのかの部分を考えていくべきではないかと思うのです。おそらく、条件づくりの道筋が大事で、NPOの話もその道筋に乗せて語らないと、おそらく先に進まないでしょうね。

上野:それは同感ですね。今日も参加をしてもらっていますが、佐賀県の生涯学習センターも「社会教育主事」が発令されることがないわけですよ。

岡:アバンセであっても、ですか。

上野:そうです。生涯学習センターの職員は、みんな主事講習に行って有資格者になっているのですが、「社会教育主事」として発令される事はない。けれども業務を遂行していこうとするときに、やはり主事資格を持っていた方が非常に有効だと、私も事業統括として思えるわけですね。それはあちこちの公民館主事さんたちを見ていてもそういう風に思います。
アバンセを例にとってみると、県からの指定管理を受けるときに、受託する団体としてはプレゼンをしなければならなくて、プレゼンの時に「有資格者〇名」と言うことをアピールしたいわけです。つまり、指定管理の採択の条件に、「社会教育士」の資格を有する者が、うちの財団では生涯学習センターで何名いますよ、という事を言いたいわけです。これはどこからヒントを得たかと言うと、若者サポートステーションなどの委託をするときに、その条件の中にキャリコンとか…

岡:キャリアカウンセラーですね。

上野:そうそう。キャリアコンサルタントやキャリアカウンセラーですね。相談業務をやるからそういう人たちを入れていかなければならないという経緯があったのだろうなと思います。それと同じように、社会教育施設を指定管理者に出すのであれば、その契約の条件の中に、「社会教育士」をぜひ入れて欲しいと思います。

岡:まったく同感ですね。

上野:私どもは財団なのでそういうことをまだ言いやすいんですが、指定管理のコンペはオープンでやるので、いろいろなNPOやゼネコンさんが手を挙げられるわけです。ゼネコンさんを見ていると、資格など一切かまわず「ローコストで引き受けます」みたいな話をされたりするわけですよ。これではやっぱり仕事がうまくいかなくなるんじゃないかと思ったりすることがあります。
それともう1つは、公民館を見ていて、公民館の職員というのは、会計年度任用職員さんで5年というところもあれば、もうないかもしれませんが非常勤嘱託職員のような形で、今でもやっておられるところもあるかもしれません。採用のときには、ハローワークなどに出して採用するのですが、業務の質を上げようと思うのであれば、条件として「社会教育士を有している」ことを明確に打ち出していただかないと、「安かろう、悪かろう」の公民館にしかならないんじゃないかと思います。
いくつかの事例に見られるのですが、60歳過ぎて再任用で5年間だけ公民館で食いつなげばいいと思っているような人たちも少なからずいらっしゃいます。そういう人たちを排除するつもりはないんだけれども、採用の条件が「熱意がある人」とか、「自動車免許を持っている人」ということだけで採用していいのかなと素朴に疑問に思います。これでは、充実した仕事ができるとは言いかねると思います。

岡:これ、指定管理に手をあげる側の問題ではなく、まさに行政の話、日本の行政の水準が見られているという事ですよね。指定管理者制度を導入するのであれば、行政の責任において、公共施設の質を担保しなければならない。そこにおいて、行政の契約条件を作る力量がまさに問われているわけです。
ところが、実際には、その契約条件がズタボロな抜け穴だらけ、熱意をもって質の高いプランでエントリーしてもコスト条件のみで競争に負けるような契約が少なからず行われています。そんなことがおこるとすれば、それはもう行政に施設の質を担保する力量はありません、と公言しているのと同じでしょう。
ここが日本の指定管理下の公共施設の質を落とす根源だと思いますし、本当になんとかすべきと思います。「社会教育士」を取得していくような行政職の方々には、まず自分たちのありかたが指定管理時代の社会教育を変えうることを念頭に置いていただきたいなと、心から思います。

上野:岡先生ほど厳しく言いませんが、採用時に資格があるかどうかを問いたいけども、有資格者がそんなにたくさんいるわけではないから、熱意があるということはとても大事なことだと思います。ところが、熱意だけで仕事が回っていくかというと、そんなことはない。
つまり、採用した以上はその質を担保していくための研修の仕組みを作らなければならない。採用後は、九大の主事講習に数年の間には必ず受講すること、を条件にして公民館を運営していかないと、公民館の水準はデフレスパイラルのように、人が変わるたびに低下していってしまいます。それだと公民館を介して「社会をつくる」というのはとても難しい。そんな事は私たちの仕事じゃないという風に公民館職員はそのうち言い出すんじゃないかと思うぐらいです。貸館業務が私たちの仕事だと。
今の日本の社会は、「分断社会」もしくは「分断しかかっている社会」にあるという認識を持たなければならないと思います。そうすると、分断しているところをどうやってつないでいって、「包摂社会」に変えていくことができるか。そういった力を持っている「社会教育士」が、ぜひ、社会教育・公民館の現場で仕事をしていって欲しいなと私は思っています。

岡:おっしゃる通りですね。本当にそう思います。
条件ということについて、他の点も考えてみたいんですけども、例えば、主事講習に参加する方々の中に教員の方も多いです。今、自治体レベルの話があったんですが、教員の方にとって、昨今の変化はどう影響を与えていくのか。文科省の1つの大きな主要施策の1つに「地域学校協働活動」があるわけですけども、ここと「社会教育主事」「社会教育士」の関係をどう考えるのかというところがあると思うんですよね。
実は栃木県「地域連携教員」制度や仙台市「嘱託社会教育主事」制度など、県行政、あるいは政令指定都市等に資格を現場の側から作っていく先例がでてきています。令和3年度から九大会場のお仲間になった山口県も教員採用試験の考慮事項の1つに「社会教育主事有資格者」を入れるようになりました。すべて、県・政令指定都市としての施策です。現場の施策によって、教員を「社会教育主事有資格者」「社会教育士」として有効活用する実績を作っていけば、教員の中に「社会教育士」という意識が出てくることでしょう。しかしそうじゃなければ教員の世界では、本当に意欲があってアンテナの高い人を除いては「なんだろうな?」で終わりそうです。このあたりどう思われます?

上野:先行する自治体で、学校に有資格者のコーディネーターを配置するとか、そういう自治体がありますよね。総合学習を推進するときに学校と地域をどう繋いでいくか、その窓口やコーディネーターをおいて欲しいとかいう話がスタートだったのだと思います。地域と学校がコーディネーターの働きによって有機的に結びつけられ、学校教育がうまくいきますというところを狙っていたのだろうなと思います。
一方では、学校改革というのはものすごく進んでいるわけですよね。今日も教員の方がたくさん聴いておられると思いますが、いま、管理職になるのは甘くない。これまでの時代とは全く違うぞと思わないとダメだと思います。中学・高校の先生がいらっしゃると思いますが、部活つながりで校長が人事で自分を引っぱりあげてくれるなんていう時代はもう終わったと思います。つまり、それくらい学校運営がものすごく難しくなってきている。だから、指導主事になるか「社会教育主事」になるかというキャリアパスを位置付けているというところは、まだそれなりの財産というのがあるんだろうと思います。ですが、キャリアパスだけを目的として「社会教育士」をとって校長になり、うまく学校運営できるかというとそうではないでしょう。つまり、「チーム学校」と言った時に、その背景にはコミュニティがあるわけだから、「チーム学校」と「チームコミュニティ」をどうやって作っていくことができるか。要するに自分が校長としてマネジメントするためには、「チームコミュニティ」の運営をやれるかどうか。そのために主事講習を受講し「社会教育士」としての自覚がないと、もう難しい時代になってきているんじゃないかなと思いますね。

岡:教員受講者層は40歳代前後が多いのですが、若い教員の方が受けられる場合もあったりはします。ただその場合は「経営」がピンとこないというか。若い場合は学級経営の認識であり、学校経営まして地域経営にはたどりつきにくい。勿論それでも総合学習との展開だとか、社会教育を学ぶ意味はいろいろありうるんです。けれどもやはりそうですね、学校・地域経営に将来自分が関与するどうかを含めて、社会教育を学んでほしいなとは、確かに思いますよね。
それから今、チーム学校という話がありました。令和3年1月に出された中教審答申では、公民館主事や地域学校協働活動推進員等が社会教育士称号を取得し学校との連携を豊かにすることに加えて、教員そして学校事務職員が「社会教育士」称号を取り、「社会に開かれた教育課程」を実現することをうたっています。早速令和3年度の九大主事講習にも、学校事務職員さんが受講におみえになりました。教員だけが「社会教育士」になるんじゃない、というチームの作り方も考えていけるといいなと思いますよね。
もう1つ、ふと気づいたんですが、一部科目履修に来られた方々に、教員層はそう多くなかったんですが、おみえになった教員層の大多数が高校の先生だったんです。何故かな?と思った時に、「高校魅力化」とか、高校と市町村自治体がつながる話が政策上、今までになく出てきています。その中で、高校の先生の中で地域とつながることが現実味を帯びてきたのかなという印象をもっています。高校教育と「社会教育士」というのはこれから面白いだろうなと、思っているところがありますね。

上野:実際にはこれから面白い動きをする高校がいくつか出てくると思うんですよね。文部科学省が「高校魅力化プロジェクト」をやりなさいというからとりあえずやってます、みたいなポーズを作る高校もないわけではない。高校の教員の意識としては、自分はたまたまその高校にいるだけなので、その高校の生き残りを考えるという意識になかなかならないわけです。高校の存続は、県がやってくれるよね、みたいに思っている教員が、言い過ぎかもしれませんが、多いのではないかと思います。個人として考えたことがないかもしれません。
その時に、今、岡先生が言われたように、そこの地域にある高校というのはもともとどういう役割を歴史的に果たしてきたのかという事を問い返してほしいと思います。歴史を振り返ってほしいのですが、県が最初から作ったなんて思ったらダメですよ。特に農業高校は、地元の農民たちがお金を出しあい農業高校の分校からスタートしたという高校は少なからずありますから。100年ぐらい歴史を振り返ってみたときに、高校というのはこうやってできてきたんだ、地域の中で教育機関というのはどんなに大切にされてきたのか、そこでどういう役割を果たしてきたのか、という事を考えながら、高校の先生たちは高校の魅力づくりの取り組みをやっていただきたいと思いますね。

岡:歴史的視座。大事ですね…。時間が迫っていますが、もう1つどうしても触れたいことがあって。ICTが今後必須になってくるわけです。ICTと「社会教育士」という事をどう考えていったらいいのかということです。船橋の事例にもありましたが、技術導入のためにも民間企業とつながって、という話になりがちですが、私が大事だなと思うのは、コンシェルジュを地域の中で作るなど、ただ職員の過重負担になっておわらない地域のしくみづくりです。またそれが学校支援におわるのでなく、多様な地域住民の豊かな学びの場になっていくことが何より重要です。あるいは、確かに高校生が入ってきたら面白いですよね、そういう地域の学びの広がりの中に。学びの裾野の広がりとICTが重なるといいなと思うんですけども、その辺どう見ていらっしゃいます?

上野:この間のコロナ禍の中で分かった事は何かというと、社会教育のインフラがいかにICT化してないのか、ということですよね。

岡:全く。それはそうですよね。悲しい事例がいろいろありますよね。

上野:だからICTの議論をするときには、まず、それぞれの社会教育施設、公民館が、そのインフラのWiFi環境を整えるというレベルの議論があって、これは「各自治体で予算をつけましょう」という話になります。
2つ目には、社会教育の職員のスキルアップですね。船橋の話にしても、社会教育職員がスキルを持っていないと、コンシェルジュ頼みになってしまうとか、外部委託になってしまいがちです。職員自身がICTのスキルを身につけるということ。
それから、対面が有効な事業、リモートだけでも有効な事業、リモートと対面をかけ合わせることによってさらに有効になる事業といったものがあるかと思います。そういった事業の企画や編成の仕方は、「社会教育士」が身につけておかなければならないことだろうと思うんです。まずは3つぐらいのレベルで条件の整備を進めていかなければならないということがあります。
もう1つだけ触れておきたいことがあります。先日、佐賀市の社会教育委員の会議があって、その時に佐賀県警の少年サポートセンターの委員からの意見としてネットパトロールの話が出てくるわけです。子どもたちがネットの中で犯罪等に巻き込まれる。特に女の子であれば性被害を受けたりするということがあるわけです。その時に「ストッパーが必要だ」ということを言われたわけです。「だからサポセンに相談にきてね」ということを広く呼びかけられるんです。
その時に私は「高齢者だってこれからSociety5.0でネット社会の中に生きていくようになると、いつ犯罪に巻き込まれるかわからないですよね、その時のストッパーはどこに期待されますか」と聞いてみたら、「公民館だ」と言われました。「おれおれ詐欺」のネット版があったとしたら、公民館を介して身近に誰か相談に乗ってくれる人とか、話し相手の人がいたらそれがストッパーになる、と言われたんです。ですから、ICTは普及の段階だけども、普及後はどういう風にセーフティーネットを作っていくのか、ということ考えていかなければならないかなと思いますね。

岡:今の話も含めてなるほどと思ったんですが、やはり社会教育や公民館の強みは何かということを今一度考えなければいけない時期にきていると思うんですね。オンラインというのは広域でつながるというのが1つのメリットで、そこもたくさんあるんだけど、公民館の強みはやはりリアルだし、対面だし、そして小地域ですよね。そこの強みが実はICT化されていく、Society5.0の時代にもますます重要になってくるというのが今のお話でもあると思うんですけども、その立ち位置からそういう風に窓口になったり、ストッパーになったり、あるいは、本当にデジタルリテラシーの基盤を支えるのが公民館でもあったり、できることとかやらねばならないことがたくさん出てきているということですよね。
そういった時代の中での強みを生かした自分たちの可能性というものを考えていく。「社会教育主事」「社会教育士」関係なく、社会教育としては是非進展させたいところだと思いますね。
さて、あっという間に時間がきました。最後に言っておきたいことはありませんか?

上野:最後に1つだけあります。さっき、職員の資質のスキルアップのことを言ったでしょう。それはいったいどこでできるかという話を考えてみたときに、これまでは行政の内部の職員研修だったわけですよね。しかしそれだけではやっぱり継続性や体系性という点で限界があるのではないかと思います。「社会教育士」を名乗るという事は、「社会教育士」としての職能集団を作らなければならないでしょう。おそらく九州大学でも去年、今年と2年間にわたってOBのフォローアップ研修をやられるというのは、そういう期待を持っておられるだろうなと思います。是非、今日ご参加の方は、職能集団としての「社会教育士」の集団を作って、是非、継続して研修、研鑽に励んで行っていただければと思います。

岡:ありがとうございます。私は、今の話をうかがって、非常に大事なことを言い忘れていたことに気づいたのです。今年の修了者研修は去年と全然違うところが1つあるんです。去年は、上野先生、私、そして九州大学学務企画課で作り上げちゃったわけです。でも、今回は一般受講と一部科目受講の皆様から企画委員会に手を挙げていただいて、委員会として練り上げて行ってくださったんです。この世代を超えてとか、エリアを越えてつながっていくということが、その「社会教育士」の束になっていくといいなと、心から思います。
上野先生、ありがとうございました。

上野:ありがとうございました。

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