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「どうして勉強しなきゃいけないの?」その理由と中島さち子さんの描く未来!

どうして勉強しなきゃいけないの?

諸岡:お子さん、中学2年生でいらっしゃるんで既にそういう時期は過ぎているかもしれないんですけど、子どもさんに「どうして勉強しなきゃいけないの?」って言われたらなんてお答えになりますか?

中島:苫野先生という先生がいらして、哲学の先生なんですね。

諸岡:はい。

中島:苫野先生が言う学校、というか、学びか・・・学びの意味っていうのは、自由になるためにやっぱり学ぶというのがまずあるんですね。
 結局、学んで何になるかっていうよりも、やっぱり学ぶことでより思考が自由になったり、生きるが自由になったり、やっぱりより自分らしいものが得られるようになる。だから、教育ってやっぱそこですごく大事で。今の既存の教育システムどうこうとかともかくとして、学ぶということはより自分を自由にしていくことができるので。まず、学ぶっての自由になるためっていうのがあって。
 でも、学校とかの意味としては、「自由の相互承認の感度を育む」場所だと。だから、自分だけが自由でもしょうがなくて。相手にも自由があって、この人にも自由がって、もしかしたら動物にも自由があって。で、このお互いにやっぱり自由を相互承認する必要があるんだけど、相互承認の仕方って学ぶの難しいんだけど、相互承認の感度を育むというふうに苫野先生、書かれてるんですけど。相互承認をしていく・・・こうやったらよりお互いに自由になれるんじゃないかみたいな事の感度ですね、を育んでいく、そのためにやっぱり人が要るかもしれない。ただ従来のタイプの学校がいいのか、このやり方がいいのかとかは、もう1回再構築したり考え出してもいいかもしれないけど。でもやっぱり学ぶ意味は自由になるため。学校とかそういう場とかがあることの意味は、そういう自由の相互承認の感度を育むため。そういう言い方をされていて、すごく面白いなーって私も思いました。

諸岡:うーん、面白いですね、ほんと。あの人の自由は何だろうって感じるところを、鍛錬していくってことですよね。

中島:割と私もこういう考え方で答えたりすることもあるし、やっぱりね、一生本当に・・・生きるって学ぶことだと思うんですよね。日々日々いろんなこと学んだり体験したりして、ちょっとずつ失敗もしたりしながら振り返ってって、より素敵な生き方みたいなものを模索してるんだと思うんですけど。

学びの目的は「自由になるため」生きたいように生きるため
学校のような場は、自由の相互承認の感度を育むため
では、数学や音楽を通じてどんな自由が得られるのか?

誰も設定していなかった問いを立てる

特にまだまだ誰も解かれてないものとか、まだ誰も設定しなかった問いみたいなものを立てようと思うと、やっぱり結局世界をどうみるかっていうのをより自由にしていかないと見えないわけですよ。まだ解かれてないってことは、今までの私たちの物の見方にはどっかにバイアスがあって、あるがままに見えてないからこそ見えてないと。もっともっと本質的に結局どういうことなんだろうってありとあらゆるものの見方みたいなものを新しく考えていく中で、あ、結局こういう見方があったか!バーンとこう視界みたいなものが開けて見えるみたいな。

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