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私の目覚めの物語① 二つの世界を生き抜いた意味

目覚めの時シリーズは⑲で終わりにします。
⑳を宿泊先で書く予定でしたが、スマホの変換では⑳が無く、〇の中の数字は19までなんだ。
と思っていましたが、パソコンだとありますね。(笑)

⑳㉑㉒、、、、ほら。

でも主から新しい導きを受け取ったので、今日からは私の目覚めの物語を記事に書いていきたいと思います。

その前にこの数日で感じた事を少し述べます。私の話に繋がる内容です。

それは新しい世代が神の臨在に目覚めていっているということです。
しかもそれは私以前の世代よりも遥かに早く、深く、です。

きっと時代の影響もあるでしょう。
今は神の栄光が強く現わされる時代です。
また日本の時が来ているからでもあるでしょう。
世代における神の召と計画が違うからとも言えるでしょう。

しかし純粋で大人からすれば知識も経験も乏しい子供たちの方が、多くの大人よりも早く、深く神の臨在を理解し、その深みを経験していっているのです。

正直に言って私の子どもの頃よりも圧倒的にです。
また多くの時間を聖書の学びに費やし、教会で時間を過ごし、色々な経験をした今の大人のように見える私よりも、もしかしたら深くに到達している子どももいると思います。

聖書でイエスは以下のように語りました。

マタイの福音書 18:3

こう言われた。「まことに、あなたがたに言います。向きを変えて子どもたちのようにならなければ、決して天の御国に入れません。

イエスの言葉は真理です。
私はこの15年間程、向きを変えて、悔い改めて、ある意味 子どものようになる為に色々な事をしてきたんだと思います。

なんでこんな純粋に生きれなかったんだろう。
なんで素直に神から良いものを受け取れなかったんだろう。

少しそうも思います。
羨ましいな。
と憧れる気持ちもあります。

でも私が通ってきた困難な時代は決して無駄ではないと知っています。

純粋なままでいたかったけど、強くならないと生きていけなかった。
本当の自分を隠して、偽らないと生きていけなかった。
心からじゃないけど、正しそうなことと教えられてそうしていた。
大人になんかなりたくない。でも大人にならないと生きていけかった。

私は以前の時代の二つの世界を生き抜きました。

昭和に生まれて、平成の日本を生き抜きました。
宣教師の両親の元でアメリカで生まれ、キリスト教の中で、教会の中で育ち、その世界を生き抜きました。

そして私は神の前では成熟していない大人になりかけていましたが、
神にあって成熟した子どものような大人になる道を見いだしています。

純粋なまま、ますます純粋に。
素直なまま、ますます素直に。(神に対してだけ。悪には聡く。)
心から生き、本音を語る人生。

神の臨在の中に答えを見つけました。
神の栄光の中で不可能は消えました。

神が私の力であり、神が私を守る領域を見つけました。

眠らされていた私の霊と魂が目覚める時です。

その物語の始まりをこれから読者の皆さんと見ていきたいと思います。

私の人生を通してあらわされた神の計画。

その計画は私だけでなく、全ての日本人が目覚める計画に繋がる。

私はそう信じています。

日本が目覚める時です!






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