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私の目覚めの物語② 小学生編

二年以上前に書いた私の物語、今回はその続きを書きます。

幼稚園編は以下より。

私はニューギニアから帰国し、しばらくは神学校の中の小さな牧師館で暮らしていました。暗くジメジメした家であまり好きではありませんでした。

その後、教会の前の古い一軒家に引っ越します。確か幼稚園の頃はその家で住んでいました。お風呂と台所が窓で繋がっていたので、お風呂の中から炊飯器のご飯をこっそり食べていました。(笑)

その後、小学校の入学の年くらいに近所の新築のアパートに引っ越します。
確か中学卒業までこの家に住んでいたと思います。
少年期の思い出の詰まった家ですね。

小学校時代は元気なお調子者のような性格であったと思います。

運動もそこそこ出来て、勉強も出来る方でした。
今にして思うと、小さい頃から聖書を読み聞きすることは教育上も効果は高いと思います。

一応帰国子女のような子でしたが、本読みは得意でスラスラ読めていました。
小学校低学年の頃は自慢げに早く読んでいたような記憶があります。

また全てにおいて自信家であったので、実際はたいした能力の違いや、努力の差も無かったと思いますが、色々な事で神の祝福の故に得をしていたと思います。

当時はそれが神の祝福と守りであると分かっていなかったので、
『俺は天才!』と勘違いをしていました。

後々、その神の祝福と守り、根源的な自信を失った時に、元々自分は何も出来ない能力の低い人間であると思った時もあります。

それもそれで正しい理解ではありませんが、この時は親や周りの環境の故に一定のレベルの成功した学校生活を送ることが出来ていました。

ちなみに幼稚園も小学校も中学校も私立ではなく、公立の市立の学校に通っていました。

今も昔も私は庶民の代表であり、民衆の代表です。

友達の家でストツーをしたり、公園で缶蹴りをしたり、ジャンプを読んだり、マンションで鬼ごっこをしたり、

外の世界では元気な普通の子として生きていました。

その時もずっと牧師の息子として日曜日は教会学校に通い、礼拝に出て、水曜日の夜は祈祷会に出て、教会生活も送っていました。あ、家庭礼拝もしてました。嫌々でしたが。(笑)

神の存在は物心ついた時から疑ったことはありません。
私の中ではそれは何故か疑いの対象にはならないです。

しかし教会生活の中には不満や疑問も小学生ながらに多少は感じ始めていたと思います。

今の私の信仰と神との関係において、当時の自分の気持ちを根拠を持って弁護出来る事柄もあります。

しかしそれ以上に親や周りの温かいクリスチャン家族に支えられ、祝福され、感謝な恵まれた教会生活を送ることが出来たと思います。

本当に素晴らしい教会でした。
この時の主要メンバーとはその当時を越える神の祝福と恵みが注がれる日が来ることを私は信じています。

全体的に私の小学校時代は教会生活も外でも生活も、平成の時代の良さを存分に表したような時であったと思います。


日本が目覚める時です!





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