古典的結婚観の正しさ 神が味方する新しい時代の結婚とは!?

私が人生で行った決断において妻の香代を結婚パートナーとして選べたことは大いなる恵み、偉大な勝利でした。

この世の結婚観の影響を受け、自分にとってメリット(外見、人格的安定、家柄・名声や富、学歴や能力)のある女性をパートナーに選ぶことが賢い選択であると私も思っていました。

しかし妻を結婚パートナーに選べた理由は

「この人は頑張って生きているけど、助けが必要な人だ。」

と感じたことがキッカケでした。

そして今分かることはその思いは神から来ていたことだということです。

パウロは聖書の中でこのように語っています。

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現されるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(コリント人への手紙第二12章9節)

パウロはここで肉体のトゲと例えて困難や迫害のことを弱さとして語っていますが、ここでパウロが語っていることは、私が妻と結婚することにも通ずる神の方法であると思います。

動画の中で妻が語っているように妻の人生は幼い頃から家族の問題の中で困難な人生でした。

妻にとっては普通の家庭の普通が無い中で、普通の人が普通に出来ることも出来ないことも多かったようです。

まさしく妻の人生は『弱さ』を抱えていたのです。

しかし神の愛はその弱さの中に完全に現わされるようです。

確かに私の人生で奇跡・しるし・不思議・神の力が増加し、現わされるようになった大きな理由の一つは妻と結婚し、その『弱さ』が私の一部となってからでした。

その結果、私の人生はその弱さの故に神の力や助けが無いと生きていけない人生になりました。

しかしその結果、私の人生は以前よりも自然と神と共に歩む人生になったのです。

そして今分かることはそれが本来の人の生き方であり、元々人は『弱さ』を神と共に愛し、解決し、癒し、そしてまた次の『弱さ』を愛する為に生きていくという事です。

私はここ数年で特に以前は勝ち組と言われていた人生、

富や名声、内側に重きを置かない外見的美しさ、常識的生き方、宗教的正しさ、

得と思われていたことを追求してきた人々が負け組になってきているように感じています。

そして以前は負け組と思われていたような人々、

損と思われていた要素が逆に必要であったと気づく人が増えてきているようです。

妻は損な人生、負け組の人生であったかもしれませんが、神の目にはそうは見えていなかったようです。

「人はうわべを見るが、主は心を見る。」

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」

この聖書の言葉は真実です。


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