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ビートルズのソロ・アルバムの解説を書いていこうと思います。

自分のサイトを改めて作って改めて内容を書き直してアップしましたので、こちらをご覧ください。

すでに数枚解説も書き始めております。

はじめに:
 「ビートルズは大好きだけど、解散後のソロアルバムまで聴いたことがない」という人が意外と多いらしい。最近知り合った若いビートルズファンがそう言っていた。たしかにビートルズだけ聴いていれば満足というか、ビートルズが素晴らしすぎてソロまで手を伸ばせる気がしないという、そういう気持ちもまぁわからんでもない。自分もビートルズの歴史を初めから終わりまで聴いて、また初めに戻って……というルートを無限に繰り返し、何年間も他のものはなにも聴かずに満足していた。もっと言うと自分の場合、最初に聴いたベストアルバム『ザ・ビートルズ1』が素晴らしすぎて、他のCDが聞けなくなるという状態に陥ってさえいた。「だってこれベストだし。ベストじゃないのを聴いたって、ベストより素晴らしいなんてことあるのか?」という浅はか極まりない話である。そんな考えを打ち砕いたのが、偶然に近くの映画館で公開していた『ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!』のリバイバル上映であった(タイトルがほぼ原題表記の『ハード・デイズ・ナイト』になった2001年公開版)。そこで初めて聴いた曲はどれも素晴らしく、1曲としてベストアルバムには収録されていなかった。それなら他のCDも買うしかない、とオリジナルアルバムを手に取ったことでようやく私にもビートルズマニアへの道が開かれた。

 良いものを先に聴いてしまうと、なかなかそこから新しい場所へ向かう気が起こらなくなる。最初から最良のものにありつけるなんて、これはこれでとても贅沢な話ではあるけれど、やっぱり視野を広げてより多くのものを見聞きするのもまた大事なことで、勇気を出して先へ進んでみるだけの価値は必ずある。ビートルズの場合は「ベストアルバムから卒業する」「ソロアルバムに挑戦する」(個人的にはそこに「レコードの魅力を知る」を加えたいところ)と、いくつか超えるべきハードルがあって、ビートルズに夢中になった人にはぜひ解散後のビートルズも引き続き楽しんでもらいたい……というのが中学生でビートルズを知り、それ以来人生の半分以上ビートルズを聴いて生きることになってしまった私から、この21世紀に幸か不幸かビートルズの素晴らしさに気がついてしまった若い人たちへの願いである。

『ビートルズ・ストーリー』という本が出ています

 ちょっと前まで、CDジャーナルから『ビートルズ・ストーリー』というムック本のシリーズが刊行されていた。例えば1冊目の「Vol.1」なら、「ビートルズの1964年」のことだけしか書かないという画期的な本で、1年1冊という基本ルールのもと、2014年刊行の「Vol.1 1964」から、2019年刊行の「Vol.13 1975」まで、5年ほどかけて一旦の完結を見た。幸運にもこのシリーズが始まる少し前に責任編集を務められた藤本国彦氏と知り合うことができた私は、これから始まるという『ビートルズ・ストーリー』のプランを伺って、生意気にもその場でこんな提案をした。「1年1冊でやるなら、グループが解散してから先のこともやるべきです。グループ全員がEMIとの契約が残っていて、1975年までは4人とも定期的に作品を発表しています。法律上ビートルズが解散していなかったこの時期まではきっとやれるはずです」。もちろん藤本氏もそこまで視野に入れておられたようで、当時のソロアルバムの国内盤レコードには歌詞カードとは別に大きな冊子がついていて、他のメンバーの動向もまとまった年表がついていたよね、などという話で盛り上がった(ちなみにレコードに年表のおまけをつけて歴史に沿ったビートルズ伝説をファンに定着させてくれたのは、東芝の洋楽ディレクターだった故・石坂敬一氏)。

ちょっと回想:私がビートルズのソロを聴き始めた頃

 私がビートルズのソロアルバムを聴くようになったのは『ビートルズ1』のブームと前後してジョン・レノンのリバイバルブームがあったおかげだ。三菱のクルマのCMに「Woman」が使われ、「ミレニアム・エディション」として『ジョンの魂』『イマジン』などソロアルバムが豪華な仕様で再発された。さいたま新都心に「ジョン・レノン・ミュージアム」が開館し、さいたまスーパーアリーナではJーPOPのスターたちがジョンの曲をカヴァーする『ジョン・レノン スーパーライヴ』も開催された。当時はまったくそんなこと考えなかったが、今にして思うと、没後20年だったというのにまるで現役アーティストのような話題の多さである。その流れで当時の最新ベストアルバム『レノン・レジェンド』を聴いて、解散後も相変わらずテンションの高いジョンのソロ曲が好きになった。

 ジョージは最初の本格的ソロアルバム『オール・シングス・マスト・パス』が「ニュー・センチュリー・エディション」として未発表音源を追加して再発された。レコードと同じように豪華な箱入りの仕様で、もともと白黒だったジャケットは彩色されてカラーになった。まさかそれからまもなくしてジョージが亡くなってしまうとは思わなかったが、ブックレットに掲載された本人の解説コメントはとても愛にあふれたもので、ジョージからの最後の贈りものとして大事に聴いたものだった(その後、ジョージが遺した音源に息子のダーニやジェフ・リンが手を加えて最後のオリジナルアルバム『ブレインウォッシュド』がリリースされることになる)。ポールはポールでベストアルバムの『ウイングスパン(夢の翼〜ヒッツ&ヒストリー〜)』をリリースして、ウイングス時代の大ヒット曲をまとめて聴けるようになっていたし、ジョンやジョージのような豪華仕様ではなかったが、オリジナルアルバムが1500円均一という破格の値段で解散後の足取りが辿れるようになっていた。そしてポールはニューアルバム『ドライヴィング・レイン』を携えて2002年に久しぶりの来日。東京ドームでビートルズ・ナンバーばかりを演奏し、大盛況となった。

まだ回想:廃盤になったCDは高い……そしてレコードの世界へ

 なんだか自分の回想のようになってしまったが、もう少しだけ。1976年1月、せわしなく新曲のリリースを求められていた元メンバーたちは契約からようやく解放され、EMIとの契約を再更新したポールを含め、それぞれの新しい活動に乗り出す。ジョンは産まれたばかりの息子・ショーンの育児に専念するため音楽活動を休止。ジョージはワーナー、リンゴはポリドール(北米ではアトランティック)と契約して、それぞれのペースでアルバムをリリースできるようになった。問題は、その時代のジョージとリンゴのアルバムは80年代にCD化されたきりで廃盤状態になっており、2000年代の始めは相当なプレミア価格がついていたことだ。今でも憶えている。ワーナー時代のジョージのベストアルバム『ベスト・オブ・ダークホース(ダーク・ホース 1976-1989)』や、当時から名作との呼び声が高かった『慈愛の輝き』の国内盤CDが、中古のCD屋さんで5000円以上の値段がついていたことを。私は高校生になっていたが、とても手が出る金額ではなかった(大人でもアルバム1枚に5000円は好きなアーティストでもちょっと出しづらいものがある)。リンゴに至ってはCDを見かけた記憶がほとんどない。たしか、状態の悪い輸入盤CDでも3000円くらいしていたような気がする。

 その問題を解決してくれたのがレコードだった。CDなら5000円するアルバムも、中古のレコードなら安ければ500円〜1000円程度で入手できた。ポールのソロアルバムは当時からよく売れていたために在庫が多かったようで、100円や300円ですぐ買えた。時代の流れに逆らって新しくレコードプレーヤーを買うことに対する罪悪感みたいなものはあったし、レコードを買い出すなんて親がいろいろうるさいことを言いそうな予感もしていた。今ではレコードを買うなんてどうということもないかもしれない。だが当時の最先端はCDとMD。かろうじてカセットテープは生き残ってはいたものの、レコードはすでに過去のものになっていた。結局思い切ってお正月に秋葉原へ出かけ、お年玉を注ぎ込んでデノン製の一番安いプレーヤーを買ってきてしまった(今でも売っている「DPー29F」12000円)。やはり母親は良い顔をしなかったが、「これからまたレコードの時代が来るから!」と言って強引に押し切った(まさか将来、本当にその通りになるとは思いもしなかった……)。

↑中古の輸入盤ならだいぶ安くなりました

まだまだ回想:ビートルズは1976年まで解散していない!

 こうして私はビートルズのソロアルバムを聴くためにレコードを聴く環境を整え、片っ端からソロアルバムを見つけては買って聴いていった。リリース当時のリスナーの気分に浸りたかったので、国内盤でライナーノーツ(解説)のあるものを選んで買った。帯はあってもなくても良かったけれど、ライナーが欠けているものは絶対に買わなかった(今でもレコードを買うときはそうしている)。ここでやっと国内盤のレコードに封入されていた「年表」の話に戻る。石坂氏の命により、立川直樹氏らによってこれでもかと情報が詰め込まれた年表ーー読めばレコードを聴きながらジョン、ポール、ジョージ、リンゴのそれぞれの細かい足取りをリリース当時の感覚で、かつ同時進行で辿ることができた。そこでわかったのは、ビートルズが解散し、それぞれがソロになった1970年代の始めがどんなに盛りだくさんな時期であったか、ということだった。繰り返すが、当時ビートルズは法律上解散しておらず、それぞれのソロアルバムはすべてアップルからリリースされていた。各メンバーは基本的に1年で1枚新作アルバムをリリースする必要があり、EMIに残ったポール以外の3人は、契約枚数を消化するためにそれぞれのベストアルバムがリリースされた。ファンにしてみればビートルズが解散したのはとても残念だったろうが、元メンバーがそれぞれのカラーで染めあげたソロアルバムを届けてくれたこの時期は、言ってみればお楽しみが4倍になったようなものだったのではないかと。

 だから『ビートルズ・ストーリー』がもしグループの解散後まで続けることができたなら、ビートルズだけで満足していた人たちも、きっとソロアルバムが聴きたくなるんじゃないか。たとえそうならなかったにしても、本は後世まで残る。いつかソロアルバムを聴く気になったなら、その時はきっと『ビートルズ・ストーリー』が手助けになるはずだと。発案者でもないくせに、そんなようなことを藤本氏に対して熱烈に申し上げてしまった。結果として、初めて音楽ライターとしてビートルズについて思いっきり書ける場所を与えていただき、すべての巻で「レア音源解説」と「名カヴァー・珍カヴァー紹介」のコラムを書くことになった。中学生の頃から海賊盤CDに手を出し、耳をおっ立ててあらゆる音源を聴いていたことと、ソロアルバムを聴くために買い始めたレコードのコレクションはいつしか日本の歌謡曲やフォーク、ロック、ジャズにまで及び、様々なアーティストがビートルズを歌う音源をたくさん持っていたことが役に立った。

やっとおしまい:キミたちは恵まれているぞ

 「もう少し」と言っておきながら結局長々と自分の話を続けてしまった。時系列は多少前後しているものの、これが私がビートルズのソロアルバムを聴き始めた2000年代始めの大まかな状況である。レコードでひととおりソロアルバムを聴き終えてからしばらくして、ジョージのワーナー時代のアルバムがようやくCDで再発売され、状況は多少改善された(ただし、国内盤がコピーガードのかかったCCCD方式でリリースされたため、同時期に新作としてリリースされた『レット・イット・ビー ネイキッド』と併せて相当な物議を醸した)。リンゴのポリドール時代のCDは相変わらず入手困難なのが非常に残念だが、ジョン、ポール、ジョージの作品に関してはほとんどApple MusicSpotifyといったサブスクリプション(=サブスク、配信サービス)で気軽に聴けるようになった。YouTubeのような動画サイトもすっかり一般的になり、入手困難なリンゴのソロ曲についても試聴程度にこっそり楽しむことはできる。これからビートルズのソロを聴こうと思っている人は、もはや私のように面倒な道を辿る必要はない。聴きたい時にいつでも聴ける。こんなに恵まれた状況は、今までなかった。私が中学生の頃にスマホがあって、サブスクがあったらどんなに良かっただろう。

ただ、サブスクの唯一とも言っていい欠点は、一切の文字資料がないことである。せいぜい歌詞くらいはデータが登録されていれば読むことはできるが、その時メンバーがどんな状況であったかとか、どんなミュージシャンが演奏しているのかとか、そういうことが一切わからない。だから、ビートルズしか聴いたことのない人たちに4人のソロアルバムをビートルズ時代と同じように楽しんでもらうために、改めて自分の手で解説を書いてみたい。私がレコードを買い始めた頃の気持ちに戻って、初めてソロアルバムを聴いたときの感動を書き記していきたいと思った。もっと詳しいことが知りたくなったなら、ぜひ『ビートルズ・ストーリー』を探して読んでほしい。寄稿者の中ではおそらく私が一番若造で、もっともっとすごい方々が濃密な文章を寄稿されている。『ビートルズ・ストーリー』が本当に面白くなってくるのは1970年以降だと今でも思っているし、人に言いたい。

ここまでこの文章が読めた人は、すぐ気になるアルバムから聴いてほしい。どうせその気になれば、さっさと英語版のWikipediaを探して読めば必要な情報はだいたい手に入るだろう。それに、私の記事がいつすべて書き終わるかは、まったくわからない。飽きっぽい性格なので、たぶん途中で放置してしまうと思う。だからこれから更新していく記事なんか待たずに、ソロアルバムを聴いてほしい。それからもしよかったら、『ビートルズ・ストーリー』を買い揃えてほしい。そこまでしてくれたら、他に何も言うことはないので。



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