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surrender

月に1回はどうしようもなくママに会いたくなる時があって
何回かに一回は何かがトリガーになってどぅわああああ!っと
抑えられないくらいのやつが出てくる
その時に知らない間にいつも
淋しいも悲しいも辛いも我慢しているのに気がつく
我慢してる自覚なんて全然ないのに。
きょうもそんな日だった

月日だけがどんどん流れて、もう大丈夫だよねと思っても
それはそろそろ普通にしなきゃ、最近何やってるの?
仕事とかどうするの?って聞かれたらどうしよう
という他人軸からのもう大丈夫だよね、なのだ

この、ママがいない前とは違うパラレルに少しずつ
慣れてきているようで、全然慣れてない。

去年の今ごろのママのことを思い出して、
あれが最後に過ごす夏になるなんて思わなかったなあとか
これから来る季節に対してくる前から思い出して不安になったりとか
いま起こってもいないところにフォーカスを向けては悲しくなって
涙が止まらなかったりする。
毎日毎日、いまにいる練習をやっていても、こればっかりは難しい。

いまに戻ってはまた起こってもいないところにフォーカスをして
苦しくなったり悲しくなったり淋しくなったりして
涙が止まらなくなった自分に気づいて初めて、
いつも我慢していることに気づく
このループを永遠に繰り返してるんだけど、あとどのくらいやるのかしら
この調子でいくと、まだまだ毎日号泣レベルやんか!

まだいたの!と思うくらい、
悲しいも辛いも淋しいも、ちゃんと存在していて
その度に受け入れて抱きしめて手放してを繰り返す。

と思っていた時に引いたカードがドンピシャすぎて
このプロセスの大切さも、このプロセスを経ることに愛おしささえ感じた

solitude
Think of “being alone “ as meaning you are “all one” and in total harmony with everything.

このハーモニーを感じるプロセスってわけね
ははーん!ヨガやらメディテーションやらいままで習ったやつ全部に書いてあったわ!笑

こりゃ、まだまだプロセス中だわね

ちなみに、前回の大号泣祭は
イビサ祭のためうきはに向かう高速の車の中で
夏の山と空のビューにあいみょんが流れてきて
琴線に触れまくったとき

今年の始めからこころ死んだん?てくらい
何にもこころが動かなかったから、
この歌が流れてきて涙が出るなんてところまで
こころが動くようになったことがうれしかった

空が晴れたら 
愛を 愛を伝えて
涙は明日の為 
新しい花の種

空が晴れたら
逢いに 逢いに来て欲しい
涙は枯れないわ
明日へと繋がる輪

あいみょん/愛の花



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