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All is well

どの年も激動でドラマチックで波瀾万丈気味な32年間の中でも2022年は格別だった。
9月の東京出店を終え、少し落ち着いたかなと思いながらブッキング、在庫管理、仕込み、日々の出店、ヨガのクラス、それと並行して店舗を構える準備を本格的に始めた10月、ママが入院した。
彼女はわたしが小さい頃から病気がちで、わたしが小学生の頃から2人になった私たち家族は、その都度いろんな人に助けてもらいながらこれまでにも何度かわからないほど入院と手術を経験した(ママが)わたしが成人してからは入院、手術、全てのサインをわたしがすることになり、親戚も疎遠のため、もうダメかもしれないと思いながら1人で救急外来の待合室で夜を明かしたこともあった。
今回の入院はその中でもヘビーさを極めていた。正直、このタイミングで!まじで!勘弁してくれ!って1万回くらい思ったけど、本人はもっと大変なんだからそんなこと言ってられない。結局、その入院で全身麻酔の手術を2回もこなし、年末には転院しようと話していた二度目の手術から10日後…
母の母、(わたしのおばあちゃん)の月命日のお墓参りに行った直後に病院から電話があり、数々の蘇り伝説を持っていた最強のママはその日の夕方に眠るように亡くなった。
小さい頃から、この"いつか"の日を何度となく想像しては泣いたり覚悟をしてみたりしてきた、その"いつか"が来てしまった、予想以上に突然になんの覚悟も準備もできていない、再来月には自分の店舗を持つという準備をしている人生の中でもてんやわんやな時に、それを上回るとんでもないことが起きてしまった。十分に声を上げて泣くこともできないまま、その瞬間からすべての決定権がわたしに移ってしまったので、言われるがままに手続きをこなしていく。
とりあえず思い当たるだけの親戚や知り合いに電話をして、葬儀屋さんを選んで迎えに来てもらう手配をして、お寺に電話をして葬儀の段取りを決めて、葬儀屋さんが迎えに来て(何も知識がない私はそのまま葬儀屋さんに運ぶものだと思っていたら葬儀屋さんいっぱいで入れず)ママはあれだけ帰りたがっていた家に帰ってきた。そこから担当の人の説明を聞いて葬儀のことを決めたり、友達が来てくれたり、20年ぶりくらいに父が家に現れて話したり、葬儀が終わるまでまともに寝れないとはこのことか!と思うほどとにかく言われることをこなして、人に気を使って挨拶をしまくる数日が終わった。
みんなが帰ってしまって1人になって、ふぅ~やっとママのことゆっくり考えれるな~なんて思っていたらとんでもなかった。
葬儀の2日後には店舗の融資のための面談が入っていて、突然のことでずっと気が張っていたそのままの状態でまた突っ走り始めてしまった。そこからは、とにかくお店を開けなきゃ!ちゃんとしなきゃ!と追い込まれるように亡くなった後の手続きをすごい勢いでやり始めた(今となってはこの時に計画的にほとんど終わらせていたので後が楽ではある)しかし、亡くなってまだ1か月も経っていない中、銀行や役所に報告するのも、ましてやママの入院していた病院へ支払いに行くのも毎回車の中で号泣していた。
感じたことのないくらいの悲しみと喪失感と不安を抱えきれていると錯覚したまま、ママもお店楽しみにしてたし、今更やめるとか言えないし、今まで応援してくれた人たちにも迷惑をかけてしまうし、とにかくオープン前に手続きを終わらせなくちゃ!と、周りの心配の声を押し切るようにどんどんと手続きを進めていた。ただ、店舗の契約ギリギリになって信頼している大人(友達の両親とか私のことを知ってくれている人)たちが身をもって制してくれるのが気になってきた。人が何かをしようとするのを本気で止めるのは相当なエネルギーのいることで、責任も重大である。それを何人もの人がわたしに全力で伝えてくる…その人たちと何時間も話をしながら、少しずつ今の自分が置かれている状況や心の中が見えてきた。
マインドフルネスや瞑想や東洋哲学の思想を少し知識として持っていたし、グリーフというものがあることを知っていたので、なるべく早くそこから抜けるように、感情を感じきるように、などと考えていたが、甘かった。
自分軸だと思っていた軸は先述の通り他人軸に入れ替わっていたし、大丈夫だと言い聞かせていたマインドはズタボロだったし、うまく眠れないのもメンタルが安定しないのも忙しすぎるからで落ち着いたら治るやろと思っていたけど、ただの身体からのサインだった。
沢山の人から心配されているのは知っていたけど、最後はママも信頼していた人たちに気づかせてもらってやっと立ち止まった(もはやママの手も加わっとったやろとすら思うことがたくさんあった。)
立ち止まったら、もう立ち上がれなくて新しい事をできるエネルギーなんてなかったことに気づく。
ずっと夢に描いてきたものをゼロにするのも、一度やると言ったことをやらないのも、大事だと思っていた人たちを傷つけるのも、信頼を失うことも、関係する沢山の人に迷惑をかけるのも、それでみんなが大変になるのも、本当はもっと早い段階から心の中では気づいていたけど、それを認めてしまうのが怖くて突っ走り続けてしまった。結果、本当にギリギリになって迷惑をかけて沢山の人の期待や信頼を裏切ってしまった。
そして、ここからがわたしのグリーフの本当の始まりだった。
本当にとにかくかつてないほど自分を責めた。もっと早くお店をしないって決めてれば、人にこんな迷惑をかけることはなかったとか、ママの入院中も
毎日のお見舞いと補助金などの手続きが大変すぎてママに八つ当たりしてしまったこととか、もっと一緒にいれたのにとか、とにかく、もう元には戻せない、今起きていない何かに対して理由をつけては自分を責めるを繰り返し、改めて襲ってきた、これまで守ってくれていた絶対的な存在がいなくなってしまった喪失感と、計り知れない迷惑をかけてしまった、期待や信頼を裏切ってしまったという罪悪感と、途切れてしまったご縁やあれだけやりたいと言い続けてきた事を消してしまった自己嫌悪感に押しつぶされた。抱えたことのない量の感情や罪悪感に、いま起きていないこと=思考だからと頭ではわかっていても、とにかく体で悲しみや苦しみ、痛み、やるせなさ、言葉にできないなんだかわからないものを抱えてしまった。今も全く立ち直ったり乗り越えた訳ではないけど、その思考のクセやループを認識するところまではきた。
ここまでこれたのは、何も言わずともわたしを思って心配してくれているエネルギーを送ってくれるすべての人たち、ただただまるっと存在を肯定してくれる友達、栄養おばちゃんをはじめとしてこんな状況下にも愛をたくさん注いでくれるいつものみなさま、そして、物体としていなくなってもなお存在感抜群でネタに尽きない母上、その尻に敷かれっぱなしで娘にも八つ当たられまくりの父、存在だけで癒しの猫たちとおいしいご飯とおいしいお酒のおかげである。
もちろん、熊本を出ていくことも考えていないわけではないし、量り売りはママのサポートがあってこそできていたものなので続けることは難しいし、じゃあこれから何をするの?どうするの?というのは最近よく聞かれるホットトピックなわけだけれど、急がずに少しずつ心が動くものを探してみようと思う。
わたしの地球でのルールを司っていた大魔王がいなくなって、やっと決まったと思っていた目標がなくなったいま、また襲ってきたの?アイデンティティクライシス!状態だから笑

でも熊本地震の後、昔からあれだけ外に出なさいと言っていたママが帰ってきてと言ったこと、そしてうっすらそんな予感を感じながら、とにかく5年は帰ってみよう、そして悔いのないように全力で家族の時間を過ごそうとしたこと(本当に大変だったけど笑) 成るべくしてとはこういうことなのかもしれない。
一緒に行った旅行先でご機嫌斜めになって黙って帰ってしまったり、わたしの酒飲みが過ぎてチェーンごとカギ閉められたり、怒鳴りあいの喧嘩も、1か月くらいシカトされたことも、わたしの大学時代の彼氏が気に食わず新幹線に乗って別れろと言いに来たことも、いくらでも出てくる伝説の数々。そしてその伝説を上回る勢いで常に自分のことを差し置いてまでもわたしの事が一番で、愛してやまなかった彼女。
ママとのカルマは絶対今生で解消してやる!と思ってたけど、やっぱりちょっと来世でも会いたいわ。こんなドラマチックじゃなくてもいいけど!

と、まとまりも何もない文章になってしまいましたが、絶賛グリーフケアの真っただ中のわたしが助けられた本を2冊張り付けておきます。
人生も、関係も、亡くなり方も、残され方も、とらえ方も人それぞれなので、これが絶対などとは一概に言えませんが、とにかく、助けられている2冊。


Whatever we were to each other, that we are still.

さよならのあとで

愛は戦いじゃないよ。愛は奪うものでもない。そこにあるものだよ。

ミトンとふびん


よしもとばなな作品は毎回え、わたしの話?と思うものがたくさんあるけど、今回のSINSIN AND THE MOUSEなんて、冒頭でえ?なにこれ?わたしの話?なんなん?となって新幹線で泣き崩れました笑

寒い日の朝に飲む白湯のようにじわーっと、
夏の海に入った瞬間みたいにすーっと、
やさしく入ってくる文章なのでおすすめなんやで!

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