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《夏、握手.》

 忘れられない、夏の握手。初夏と盛夏に二度、それは祖母が差し出した右手で交わされた。

 九十三歳を迎える直前。祖母は、長年の認知症に加え、脳梗塞による麻痺を抱えることになった。幼い時から彼女に支えられてきたわたしは、祖母の家に住み込むことを決める。介護ベッドから車いすへの移乗、誤嚥を防ぐとろみのついた食事づくり、オムツを取り替えることに挑み始めた、東京で淡い雪の舞う頃。新たに祖母の左ほほに皮膚ガンができたのは、ようやくそれらのことに慣れてきた春先だった。

 ブルーチーズのような匂いを漂わせ、日々ふくらんでいく腫瘍。あきらかに進行の早いそれを見つめながらも、手術をすべきかうんと悩んだ。切除をするには、全身麻酔が必要になる。認知症が進むリスク、命に関わるそれもある。悩んでいる間にもできることはしておこうと、紹介してもらった病院、さらに詳しい検査のできる病院、手術ができるまた別の病院へと彼女を連れて行った。

 これでほとんどの準備は整った。健康診断の結果も良好なため、数字の上では問題がないと、皮膚科の先生方には手術を勧められる。それでも、しないことをわたしはまだ視野に入れていた。祖母と何気なく話している中で、「ここ、そのままにしておいて大丈夫って先生言ってたね。」と白いガーゼの上から優しくほほに触れる彼女を何度も見てきたからだ。その度に、手術をしたくない気持ちの表れなのだろうか、もしそうならやめておこうと思わずにはいられなかった。

 手術に踏み切ろうか、という考えもこれと同時に大きくなっていたのは、担当してくださることになったお医者さんと初めてお会いした日のある出来事がきっかけだった。祖母のほほを前かがみで診ていらした先生。ちょうど胸元にされていた名札が彼女の顔の前に垂れ下がる格好になった。すると「〇〇子さん。」とそれを見つめ祖母は、彼女をとても親しげに呼んだのだ。この先生とだったら祖母は手術を乗り越えられるかもしれないと、確信のかけらを感じたのはその時だった。

 桜から新緑へと進む季節。未だ決心できないわたしは、五月晴れとはうらはらの曇り空のような心持ちでいた。あの初診の光景は前向きに捉えられるものだったけれど、全身麻酔から目が覚めなかったらという不安が拭えたわけではない。

 迷いが続く紫陽花の時。手術がとうとう明日へと迫っていた。この日から入院する祖母。病室へ向かう前、一緒に診察を受けることになっている。そのわずかな時間に祖母もわたしも、ついに手術を決意したのだった。

 「懐かしい!」とドアが開くなり、先生に会えたことを喜ぶ祖母。好き、と思える人にはそう声をかける傾向がこの頃の彼女にはあった。そんな祖母に、「今日は何しにきたかわかる?」と尋ねる先生。認知症だからわからなくてもいいという冷たさは一切なく、自分の身に起きることは理解してほしい、理解できますね、と彼女を信頼してそう言ってくださっているようだった。祖母も先生の気持ちを察したかのように、「ここ。」とほほに手をやる。手術しますからね、と言う先生に、「痛くない?」と聞く彼女。「眠っている間にしますから痛みは感じないと思いますよ。」とわたしが口を挟む間もなく、ふたりの会話は進んでいった。

 「よろしく。」と診察室をあとにする直前、右手を差し出したのは祖母だった。水色のゴム手袋をした先生との温かな握手が交わされる。

 翌日、無事に手術は終わった。実はこのひと月後にも、切除した部分に鎖骨の皮膚を移植する、これまた全身麻酔をともなう手術が行なわれた。一度目の時と同様に、前日先生と握手を交わし臨んだ祖母。先生を始め、看護師さん、病院スタッフの方々のおかげで、こちらも無事に終えることができた。「よくがんばったね。」と祖母には退院の日から、何度も何度も声をかけている。

 九十九%の準備はする。それでも最後の決断は、本人に任せたい。これは、祖母の人生に寄り添うと決めたわたしの小さな美学なのかもしれないと、月が輝く秋の夜、保湿クリームを彼女の左ほほに塗りながら想った。

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