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【日記】11年ぶりに親友とネットとリアルで再会した話(他)

11年越しに再開した友人は、私の(残念ながら)ふくふくとした手を暫くにぎにぎと握ってから一言、「まなかの手やぁ」と言ったのだった。


秋葉原駅の今の駅メロは、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」だ。日常の端々でAKB全盛期の曲を聞くたびに、幼かりし頃香川県丸亀市にいた頃のことを思い出す。
何を見ても何かを思い出すーヘミングウェイ。
その頃はちょうどAKB48が流行った時で、小学生たちはみんなアイドルを追っていた。

それから10年以上がたち、AKBの勢力は他の坂勢力に削られ、香川県は遠く彼方の記憶となった。自由に使えるインターネット環境を得てから、かつての友人たちの動向を調べようとはしたことはあるが、当時のインターネット力では見つからなかった。そしてそのまま、現実に忙殺されたわけだ。

一年前

遡ることちょうど一年前、私の(あるようで全く機能していない)Instagramに一件のDMが来た。
丁寧な文体で、かつての親友を名乗る人が名前、私の名前とかつての住所を示した上で、「ずっと連絡をとりたくて、ずっと探していたのですがご本人ですか?」と訪ねるメッセージだった。
Instagramも実名でやってはいるものの、大学や高校の知り合いのような実際の顔を知っている人たちとだけ繋がっている小さなアカウントである。本物か?巧妙な詐欺か?と思いつつも、相手の名前・住んでいた時期・住所などが正しいものだったことから、おそらく本物だと思われた。
彼女曰く、「『どうしてるんやろな〜』と思って探してみた」ら私の名前が出てきたのだという。「外国におるみたいやしびっくりしたわ〜」とメッセージが続いた。確かに私は外国のおるのである。
相手が本物であると仮定した時に、ここまで時間が経ちながらもそこそこ広大な世界から見つけて出してくれたことが、素直に嬉しかった。同姓同名の人はネット上でも複数いるし、「わざわざ調べないと」見つからないだろうし、何より私だって彼女のことを忘れたわけではもちろんなかった。
当然のごとく会いたいね、という話になりながらも、運悪くちょうどコロナの時期であった。東京(それもロンドンから帰ってきたばかりで)から他のエリアに飛ぶのは憚られる時期であり、また彼女の事情からも、すぐに会うことはしなかった。

数ヶ月前

そこからまた1年が空く。こういう時間の流れを書き留めるたびに、21歳という私の年齢に、11年とか1年とかいう長めの枠組みがあっさりと収まってしまうことに若干の恐怖を感じる。
とにかく、予定していたよりもそこそこ早く帰省することにした私は、今度こそは、と飛行機を取るや否や会える日を訪ねるべく、彼女に連絡を取ったのだった。
正直なところ、小学生だった時の友人に会うのは、楽しみな反面、不安なような、不気味なような気持ちを感じる面が残っていた。相手が本当に本物なのかわからないし(インターネット上でのアイデンティティ特定の難しさを量り知るには、insaneという良い映画がある)、転入してから転校するまでの間、小学校での人間関係はすこぶるごちゃごちゃしたもので、胸を張って誇れるものではなかった。その中でほわほわと光る彼女についての良い記憶は、良い記憶のまま脳内に留めておいた方が良いような気もしていた。
だけどやっぱり、連絡してきてくれたことは嬉しかったし、折角の機会なのだから、という気持ちが背中を押した。高校の友人たちに「貴様が帰ってくるタイミングは貴様しか知らんのだから、帰るなら連絡しろ」と言われるように、私が日本にいる時間は、今のところ限られているのも良い口実になる。
そうして、さくさくと連絡をつけ、私と彼女は1ヶ月後に晩御飯を食べることを約束したのだった。待ち合わせ場所は、諸事情で本土に渡った岡山駅駅前となった。

この前

そして、この前のことに話が移る。
ロシア語の口頭試問と小論文課題を(ほぼ)片付けて日本に帰ってきた私は、すっかり忘れていた高松行き飛行機の予約を前日にすませ、ホテルの予約を当日の早朝にした上で、羽田空港へと向かった。新幹線で行こうと思っていたのだが、飛行機の方が安く早く済むし時間もかからないらしい。マイルも溜まるし飛行機なら酔わない(バスと新幹線は確実に酔う)。
7時45分に飛ぶはずの飛行機に間に合うように、空港へのアクセスばっちりの実家を出て、半分寝ながら空港についた時には、なぜか7時30分を回っていた。例え国内線であろうと、保安検査場の通過は20分前までである。
そんな初歩的な過ちをするのか、と思いつつも、同時に「やっぱり行かない方がいいのか」とも思った。神の存在は信じなけれど、何かそういう大きな力みたいなものが作用することもあるのかな、と。
一方で、東京を発った日は、日本全域で強い雨が予測されていた日だった。都内の雨は大したことがなかったものの、中国四国地方では雨が強かった。私が乗るはずだった飛行機は、高松空港側の視界不良の影響で、キャンセルになっていた。
それに気がついた時、心の中でかなり派手にガッツポーズをした。やっぱり行きたかったのかもしれない。飛行機が欠航して仕舞えば、「本来であれば私の非で」乗れなかったはずの飛行機でも、何も咎められることなく次の便に振り替えてもらえる。そういう訳で飛行機を2時間後のそれに振り替えて、私は雨の降りしきる第2ターミナルを眺めながら、飛行機まだかなあ、と思いつつ、家から掴んできた大福をもぐもぐと食べたのだった。
窓から見えるターミナルの外には、さらさらとシャワーのような雨が降っていた。

数時間前

折角だから、友人に会う前に、かつての家を見に行った話を少しだけしておこう。どうせそちらの方に行くなら、待ち合わせ場所から瀬戸内顔を挟んで離れていたとしても、かつて住んでいた場所をみておきたいような気がしていたのだ。
高松空港から丸亀駅前までは、送迎バスが出ている。ちょうど都合よくバスを拾って窓際に座って、うとうとしながら窓の外を眺めた。数年間住んでいた上に、当時の社会科の授業で散々覚えさせられたので土地勘が若干ある。段々と丸亀駅に近づくに連れて、知っている地名が増えた。
少し強まった雨の中に霞む街並みは、全く知らないもののように見えた。
バスは数駅隣の駅の西口まで来て、また少し走って、大きな川を渡った。土器川という川だ。丸亀の方言はいわゆる関西弁をベースにしたものだが、関西弁を少しカスタマイズした特徴的な語尾を持つ。「〜〜だからね」を「〜〜やきん/けんな」と言う。土器川の西側では語尾が「けん」になり、東側には「きん」になる。そんなことを思いながら、ああ、戻ってきた、と思った。
すぐに見知った駅までたどり着いた。丸亀駅は、ごく稀に岡山駅に直接向かう特急が出ている。とりあえず待ち合わせ場所である岡山駅に向かう特急のチケットを買い、駅を離れた。
雨が降りしきる、どんよりと暗く、不気味なほど静かな日だった。思ったより街は静かだった。雨のせいか、それとも時間がそうさせたのか、記憶の中の街なみよりも、もっともっとくすんでいる気がした。
大体みたかったものを全て見て、私はもう戻らない日々をずっと思い出していたんだな、としみじみと思った。漠然と小学校を卒業して、中高を卒業して、大学生になった。拠点を点々としていること、時間が発ったことを言い訳に、何と無く記憶の中の当時の日々が「いつまでもそこにある」ような気持ちがしてしまうけれど、やっぱりそれは過去のことで、もう決して戻ってこない日々なんだな、と思い直したのだと思う。充実した毎日を過ごしたはずの高校を尋ねてみたら、何と無く知らない場所になっていたような感覚に、もっと断絶を加えた経験がこれなのかもしれない。
そう実感して、やっぱりかつての親友に会うのが怖くなった。「そこに待っている彼女は、知っている彼女ではない」可能性が大いにある。彼女も、本来なら、10年も連絡を取らなかった時点で「決して戻ってこない日々」に属す住人だったはずのである。
だが、私が飛行機に乗ったのは彼女に会うためであった。規定の時間に懐かしい駅メロと一緒にホームに滑り込んだ電車に乗り込み、家から持ち込んだ餡パンを齧りながら(これで家から持ち出した食料は尽きた)、眼下を過ぎ去る瀬戸内海をぼんやりと眺めながら、特急は岡山駅に滑り込んだ。
瀬戸内海に浮かぶ島々は、少し弱まった雨の向こうに、それでもぼんやりと浮かんで見えた。

お久しぶり

「岡山駅の前に何か変な噴水あるよね、あそこで会おう」という私のすこぶる失礼な約束に沿って、彼女はそこで待っていた。
噴水の下まで何なくたどり着いて、どこにいるのだろうか、と思って目を泳がせていたら、ふと背の高い女性と目が合った。何をいうでもなく「あ〜〜〜〜〜」と言って、手を握り合った。
11年越しに出会った彼女は私の(残念ながら)ふくふくとした手を暫くにぎにぎと握ってから一言、「まなかの手やぁ」と言ったのだった。
名乗るまでも無かった。
延々と駅にくっついたイオンを歩き回りながら話し続けて、笑い続けて、ああこの人は私の友達だ、と思った。私の記憶の中の彼女は、外からあまり見えないところで努力をして、良い成績を叩き出す人であったし、素敵なお父さんに愛されていて、そしてそれを天邪鬼に嫌がることもしない人だった。それは変わらなかった。呼吸困難になるくらい笑いながら、会話の端々に小学生だった時の彼女の会話の傾向を覗き見た。
同時に、彼女はすっかり大人になって、きっとそれは私も変わらなかった。私も小学生の面影を端々に覗かせながら、ずっとずっと大人になった。11年が経ったのだ。当たり前だ。半分くらいは、「私の知っている彼女」ではなくて、しかしそれを全てひっくるめて、この人は私の親友なのだ、と思った。
小学生だった時の話にもなった。「あの時は色々あったよな、」と呟く彼女を見て、ああそうか、彼女も覚えている上で連絡をくれたんだな、とどこか安心した。私の後ろめたさが一つ、手に持てるくらいの後ろめたさに昇華した。
思い出話が半分、今と未来の話を半分ずつくらいしたような気がする。もうそろそろ解散するか〜と言って、大きなイオンにつきものの駄菓子屋を覗いた。遠足の時みたいに300円に収めようぜ、と言いながら勉強のお供を選んで、2人とも大幅に300円を超えた。まずお菓子を選ぶ基準が「大学の宿題しながら食べやすいものがいいな」だった上に、「ワンコイン超えなければ許されるか〜」と言いながら中腰でお菓子を選ぶ私たちは、もうすっかり20歳だった。
次は東京かロンドンで会おうよ、また帰ってきたら関西まで来たいな、それから絶対結婚式には呼んでくれよな、と約束して別れた(目処は立っていないが)。彼女は翌日アルバイトだし、私は翌日には東京に帰らねばならないのだ。
ホテルにチェックインして、ドッと疲れを感じて、倒れ込むように寝た。
目覚めた翌朝の岡山は、ひんやりしながらも、雨はからりと上がっていた。

終わりに

散々色々なことを書いた。もうまとめる必要もないだろう。

一つだけ言うなら、お互いが変わりながらも、変わらずに笑えることが、本当によかったと思った。半分くらいは「またこの人にあえて良かったな」という連続性に対しての気持ちだけれど、それと同時に、「大人になって会えて良かったな」という非連続性に対しての気持ちがあった。

私が心の中で紆余曲折して合った彼女は、思ったのとは少し違う形で、そして確実に年月を感じられる形で、それを以ってして、本当に良い再会、もしくは出会いとなった。それだけだ。

半分懐かしくて、もしくは半分くらい新しい友情に乾杯。

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