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【今日の論文】 「安全保障研究における脱植民地思想」(Barkawi and Laffey 2006)

今回の論文

Barkawi, T. and Laffey, M. (2006) "The Postcolonial Moment in Security Studies", Review of International Studies 32(2): 329-352.

読みやすさ:★★★★☆
目新しさ:★★★☆☆
面白さ:★★★★★

好きだった論文についてまとめたい。大学の勉強とは別に「あの時この論文すごく好きだった!」みたいな感動と出会いの喜びを新鮮なまま記録しておきたいのである。

今回は、国際関係論の一派である安全保障理論(Concept of Security)のテーマ論文から、安全保障理論におけるヨーロッパ中心主義、及びそれを脱しようとする脱植民地主義思想の手法について述べた論文に触れたい。

思いがけず、高校生の時に興味を持っていた分野が説明されるような部分があったのである。


論文自体はすこぶる読みやすい。全世界の論文がこういう構成になっていたら、少なくともイギリスで社会科学系を嗜む学生の皆さんはリーディングにヒイヒイ言わなくて済むようになるだろう。

導入:

もともと、国際関係論という分野自体が、ヨーロッパ中心的であると非難されてきた分野である。その中でも特に安全保障理論は、安全保障(Security)の定義が 'relations between and among great powers in the international understood as composed of stronger and weaker sovereign states (p.329)’ となっているように、ヨーロッパの大国とその他の弱い国々との関係を分析しようとするものである。そのため、2001年以降の国際テロリズムの勃興や文化・民族基盤とした(Stateの枠組みに囚われない)紛争を満足に説明できなくなってきていた。

では、その問題はなんなのだろうか?そこで、Eutocentirsmが出てくる。IRの二大巨頭の現実主義:Realismも自由主義:Liberalismも双方がヨーロッパのパワーバランスや啓蒙主義以降の思想的発展をベースにしてきた。そのため、
①ヨーロッパ以外の国々での事象をうまく説明できない
②ヨーロッパとヨーロッパ以外の国々の間で起こる事象をうまく説明できない
という2点の問題が生じるわけだ。

では、ヨーロッパ中心主義はどのように機能しているのか?

それを踏まえて、筆者は「ヨーロッパ中心主義的視点による歴史理解」「調査を行う際の特定視点の欠陥」「それに基づいた政策決定」の3つにおいて理論を展開する。

ここでは特に、一つ目の「ヨーロッパ中心主義的視点による歴史理解」について触れたい。ホロコーストやキューバ危機など、歴史におけるいわゆる「大イベント」の理解をピックアップして例としているのだけれど、その中でも印象的なのが第二次世界大戦中における太平洋戦線の部分だ。Mead Earle の Makers of Modern Strategyを例にとって、二次大戦中の政策分析対象がヨーロッパに偏っていることをあげる。これはアメリカ・英国の分析者たちが自分達の政策分析を行うことはできても、他地域の分析においては非論理的な行動をする、として説明の対象から外してしまうためだ、というのである。この「沈黙のうちに除かれている」というのがいわゆる認知バイアスというものであり、Edward Said 'Orientalism'におけるEuropeとThe Othersの住み分けでもある。

しかし、これには例外がある。日本だ。日本だけはこの本において触れられているが、同時に理性を欠いた存在として(真珠湾奇襲とか)論じられている。

[注:ここから私の意見] ここに、日本のなんだか奇妙な立ち位置があるように思える。明治維新を経て急激な西洋化を経た日本は、当時の国際社会の中である程度の地位を築いたように見えるし、それを誇りに思っていたようにも思える。だけれど、実際のところはやっぱり西洋に入り込めたわけではなく、「ちょっとできるオリエント」に過ぎなかったのだろうなと思わせるような気がしてならない。

少し思考を膨らませて、日本という国の中で第二次世界大戦の中の日本の行動を説明する時に、どんな理論を使うだろうか?なんとなく小学校や中学の教科書を思い返したときに、カミカゼや天皇を中心とした政治体制を論じる中で、日本が狂信的な政策を取った、というように説明することも少なくないのだろうか?もちろんブロック経済の進展とか同盟関係とか色々触れることもあるけれど、前者のような「非論理的」な部分も説明に放り込んでしまうところに、日本という国の思想体系や価値観が、ひと昔前のヨーロッパの思想をまるで冷凍するように保全し続けるという点において、すごく保守的なのではないかしら、と思うのだ。[注:ここまで私の意見]

同時に、これはキューバ危機の国際関係論的説明と合致する部分もある。キューバ危機を説明するとき、大抵キューバ政権の決断をソビエトの外交政策の延長か、アメリカの外交政策への反応として論じることが多い。しかし、実際のところは当然ながら「核をキューバに持ち込む」という決断がなければ起こり得なかったのであり(それがトリガーに過ぎなかったとしても)、その点において確かに大国主義が合間見える部分でもある。

この議論は、第二次世界大戦においてのインドにおける英国植民地支配と日本の朝鮮半島・東南アジア支配及びその後の政治体制構築に触れた上で(シンガポールに行ったときに散々日本の支配と侵略の歴史に触れた身としては、経験が理論になったという部分が大きい)、第二次世界大戦がMulti -Vocalな戦争であったと結論づく。

[注:ここから私の意見] 少し話は逸れるが、高校にいたとき、私が海外大学進学を決めた一つの理由が高校の調査研究活動みたいなプロジェクトにあった。理系の人たちが実験計画を立ててやっているのに比べて、社会科学の我々の研究は小さめのものに見えていたけれど、私は世界史のコースに属して「視点が変われば世界が変わる」をモットーに、世界史の見直しみたいなことをやっていた。そのコース小さな小さな卒論みたいなので、私はアジア・ヨーロッパ諸国の教科書比較をやった。その時も普通に面白かったし好きだったけれど、今思えば、これは世界史というよりは比較政治学であり、国際関係論の脱ヨーロッパ中心主義を図る活動だったんだな、と思う。今私が同じ内容で論文を書けと言われたら、各々の教科書を例にとって、この論文をその理論的バックアップとして使うと言ったら説明できるだろうか。高校生の時にもっともっと勉強しておけば、きっともっと早くここに辿り着いたんだろうな、と思うと、それだけがもったいなくて仕方がない。[注:ここまで私の意見]

結論:

結論として、筆者はReaslimの本来の姿にたちかえる。今政治学もしくは国際政治学をやっている人でIRの中のRealismといえば、大国のパワーバランス、アナーキーな国際社会、ゼローサムゲーム、くらいだと思うけれど、同時に安全保障理論が思考の対象とするものと大幅に重複する部分がある。本来Realism familyというのはその対象をより広く持ったものであり、そこにたちかえるのが一つ解法となるのではないか?と締める。

国際関係論におけるヨーロッパ中心主義というのはすこぶる語られた理論だけれど、その中の具体例として日本が出てきたところ、かつそれがいわゆる'Backwardness'に属するところが面白いな、と思ったのだった。

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