今ここで大学院に行きたい気がする #6
大学院に行きたい気がする。
確信を求めて
選択肢を絞った。コース名を羅列したいところだが、その前にいくつか自身が確信を得ないといけないことがある。
今のところの問題の一つ目は、私の狭くなりつつある寛容さは、ロンドンもしくはイギリスでのあと1年の生活に耐えられるのか、という問題だった。
ロンドンの生活はどう?と聞かれて、最近は「勉強は最高だが生活は私の好みではない」と答える。サマースクールの先生は Here we go!と激しく同意の念を見せ、横に座っていたドイツ人(スターリング大学心理学)は It’s miserable to live in Scotlandと同意した。ロンドンはMiserable ではないが、Insecureではある。というか、Insecureでしかない。
ついでに、ロンドンはこの頃国民保健料の値上がりを発表したばかりで、大学でのボイコットもいまだに続いていた(私が来た時からボイコットしてるけどね、あなたたち)。学費も年々上がっている。かといって、世界の中でマスターを一年で取れるコースは多くはない。
問題の2つ目は、かと言ってマスターを2年で取ることにしたとして、私は2年間の学生生活と、預金通帳の睨めっこに耐えられるのか、ということだった。別に日本で院をやっても、悪くはないのだ。だけど、日本でアルバイトをしながら院生活をやれるかと言われれば、日本のアルバイトに高給な印象はあまりなかったし、一人暮らしできるだけの稼ぎを出せるとも思わなかった。学生でいることにアルバイトを持っていることは、私にとっての必要条件に思えた。実際、私はロンドンでアルバイトを始めてから、メンタルヘルスが少しばかり健常になった。人間は、社会とのつながりが必要なのだ。
合わせて、私は日本の学生生活が全く想像できなかった。日本人なのに日本の学校に馴染めないよりは、日本人だから外国の生活に馴染めない方が、まだ耐えうる想像ができた。
私は世界のどこにもない快適なお部屋の中から、大学の玄関に直接繋がった廊下を通って大学に行って、大学の隣あたりにあるアルバイト先で日常生活に必要なお金だけを稼いで生きて行きたかったけれど、それは現実界に生きる者にとっては不可能な話で、何かをサクリファイズしないといけないのだった。多分私は、メンタルヘルスはなんだかんだサクリファイズできると思った。
大学を考える
選択肢にあげている大学について書いておこう。これでもかなり絞った後の結果である(気になる大学のマスターコースの全てを見て一つ一つクロスアウトしていった)
1年のコース
🔺University of Oxford, MSc Japan Studies
私はもう上を目指す体力が残っていないように思ったし、これ以上リジェクションを食らえるメンタルもあんまりなかった。
🔺University of Cambridge, MPhill Japan Studies (Taught)
同上。オックスブリッジへの憧れは、もうそろそろ捨てたくなってきた。捨てよう。
⭕ SOAS, MSc Politics of Asia
East Asia Pathwayを取れば、自分のやりたい方向に話を持っていけるようだった。ロンドンの生活ということだけが懸念点で、そしてそれが最大の懸念点だった。
🔺 KCL, MSc International Relations/🔺 LSE, MSc International Relations
どちらもアジア向けフォーカスは少し後退しつつも、国際関係論での手法を学べる良いコースだと思った。ロンドン大学の中でアジアの部分を担当しているのはSOASだから、アジアの部分が他のコレッジで後退するのは当然と言えば当然だと思う。
2年間のコース
[結構考えたけどやっぱ無理] 大学院総合文化研究科国際社会科学専攻
・入試に帰る体力がない。
University of Lund, MSc Asia Studies
・Asia Studyに珍しく、政治学系のパスウェイを取れる大学だった。だけど、少し静かな学生街で2年間は、良い環境であると同時にアルバイト先を見つけられないような気がした。
[入試が書類で1月だからしばらく放置] 早稲田大学 大学院アジア太平洋研究科 地域研究 or 国際関係論 /上智大学 MA Global Studies
・上の二つの大学は、私立だけれどコースの内容的には自分の内容にシフトできるようだった。推薦状が3通というハードモードな要求だけど、揃える術はあるから、最後まで取っておこうと思った。
ここまで書いてみると、なんだかSOASのPolitics of Asiaに行きたいような気持ちがした。残念だけれど、今の私は超ガツガツ上を目指したり、新しい環境に飛び込んだりする元気はなくて、だけど勉強だけはしたかった。アジアのメモリー・ポリティクス(記憶の政治)とそのオントロジカル・セキュリティー的な観点からの安全保障問題化について検討したかった。こう書いてみてわかるように、私は英語で学んだタームを日本語に翻訳することが難しくなってきているのかもしれない。
最近気が付いたのだけれど、人間というものは別に、「チャンスっぽいもの」に全て飛び付かなくても良いらしい。私はなんとなく、就職活動の時とかも、「ここチャンスありそう〜」みたいなものに飛びついて応募しては内定をもらって断るの繰り返しをしたのだけれど、自分の方でちゃんとクライテリアを設定しないといけないんだなあ、と思った。今更。
だけど同時に、よく考えないで飛びついたチャンスが後々CVに溜まっていって、自分を作っていくと思うと、飛びついてみるものいいんだよなあ、と思う。
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