記憶の政治 今週読んだもの #1
Karl Marx Walking Tourってなに?
Memory Politicsのノートを作った。最初から作っとけよ、って感じだけど、パレットジャーナルを参考にして作った。カザフスタンがスターリンによる暗黒期をどのように記憶しているかと、ルワンダが内戦とジェノサイドの後どうやってジェノサイドを記憶したかと、セルビアがユーゴスラブ内戦をどう記憶して教えてきたかとかを読んだ。あと、インドとナンビアが植民地化された記憶をどうやって扱ってきたかとかも読んだ。面白いと思う。全然違う背景なんだけど、ちょっと「ここ似てるな」とか、逆に「全然違う方向性に持って行ったんだな」とかがあるから。
「グローバルな記憶空間と犠牲者意識」(思想2017年4月号)という林先生(韓国)がそれをうまくまとめていて、グローバル化する記憶空間の中で脱領土化(ie. 人権に対する暴力として捉えようとする動き)と領土化(ie. うちの犠牲者の方が多かった、残酷だった)の双方が見られる、っていうのがあって、うまく全体を結びつけてくれるフレームワークだな、とか思った。和訳版を読んだけど、ちょっと不明瞭なところとかもあったからやっぱり英語版で読もうと思った。
カザフスタンがスターリンによる暗黒期(カザフスタンは空間的にはポスト・ソビエトの被害者意識に分類されるわけだ)を、「カザフ人」に対する罪ではなくて、「カザフに住んでいる人(=Civic Nationalism)」だと捉えた上で国づくりを進めようとしたのは脱領土化の一つの手法だと思う。これはPolitics of Eurasiaの期末課題のために読んでいるので、一応大学の勉強でもある。中央アジアの記憶の政治とか考えたことなかったしめっちゃおもしろ〜〜と思う。
逆にインドとかは、自分たちの国づくりを進める上で(インドは空間的にはポスト・植民地主義の被害者意識だ)犠牲者としてのナラティブがあった方が便利だったから、それがナラティブとして伝播されてきたわけだ。これは外務省の北棟にある図書館にForeign Affairsの新刊がブツで入っていて、興奮して立ち読みしていた時にすれ違った面白い論文だ。ケーススタディとしてというよりか、Transitionαl Justice自体のパラダイム・シフト(Victimのagencyを問い直す)という点でも興味深かった。
植民地後のセルビアも(空間的には一応「ポスト・ソビエト」に分類される)、国を建て直す建国の際に犠牲者意識をナショナリズムをうまく組み合わせて戦後を乗り越えたわけで、その点においては後者に分類できよう。
だけど、がユーゴスラビアをポスト・ソビエトとして分類するのはあまりに雑だと思う。スラブ研究に一応身を置いている者として、Stalinist repressionを経験しているからといって、ユーゴスラビアを他のソビエト圏の国と混同させたらぶん殴られる気がするし、国の崩壊(ユーゴの分裂)と戦争のあとという二重の困難を生き延びているという点でも、比較が難しいようにも思う。
そう思うと、LimのVictimhood Nationalismの空間的な分類は、あくまで便宜的なものに過ぎないのかもしれないな、とか思った。
Memory Politicsの分野と、Transnational Justiceの分野は取り扱うテーマが似ている。ルワンダジェノサイドの例をとって、政府によって「正式な記憶/Official narrative」が作られてきたのに対して、実地ではより様々な解釈が生まれているという、オーラルヒストリー/アンソロポロジーからの主張だ。そういう傾向は、被害者意識とナショナリズムの近さとかを指摘するのかな、と思う。
あと、ジムでガコガコ走りながら、ポッドキャストとかも聞いてみた。東欧の一部の国は、ホロコーストの加害者でありながら、スターリニズムの被害者であるという二面性を持っていて、それが被害者意識を複雑にしていると言われている(これはLimも指摘している、前提となっているものだ)。
モルドバでは最近になってスターリニズムの被害者意識が広く話されるようになってきた(どうして?)。リソアニアの場合は、ホロコーストにも関わったため、タブーになってきた一方で、ソビエトに対して戦ったことはアイデンティティの一部となってきた(バルト海の国々はソビエト連邦から早く脱したことで知られていよう)ーこれをVictimisation politicsという。Victimisation!一方で、ホロコーストに関する記憶はナショナル・アイデンティティーには含まれて来なかった(加害者になってしまうからだ)。
なんだか似た国のことを知っているのではないだろうか?私はこういう話を聞きながら、いつも大日本帝国としての日本と、原子爆弾を落とされた国としての日本を思い浮かべている。もちろん安易な比較が可能だとは思わないが、同時に被害/加害の二面性の共通は興味深いのではないかと思う。
同時に、ポーランドなどの国々では、「社会主義時代のノスタルジア」も見られる。社会主義はよかったなあ、の気持ちである。これは(全然別の授業から引っ張ってくるけど)実は社会主義から資本主義への移行がダメだったんじゃなくて、個々の政策によってミティゲイトできたんじゃないの?みたいな指摘と、実際は移行はうまく行ってるのに、国民の中には「なんかうまく行っていないな…」みたいな気持ちだけが残っている(=Traumatic memory!)みたいな指摘もある。
普段はロシア語のカンバセーションとかをリピートしながら走ってるから、周りから見たらヤバいやつだと思う。大学(のジム)に友達がいなくてよかった。
バルト諸国におけるロシアン・マイノリティの扱いについても読みたい。これはもう一個の授業のために読むのだけれど、記憶の政治というとその辺りもよく例として使われる気がする。
あと、ヨーロッパのOntological securityとの関連も読まねばならない。西欧のホロコーストに対する理解が、どのように脅かされ、脅威として映ってきたのかーみたいなのだと思うけど、ちゃんと理解していないと思うから!
今週読んだのはこんな感じかな?面白かった論文のLiterature Listはざっと見るのだけど、これよさそう、と思って引っ張ってきたのが、すでにブックマークしたもので、おおLiteratureが一周するくらいには前に進んできたのか〜!と嬉しい気持ちになった。
いや〜、やっぱり楽しいな。好きな分野の論文読むのって。私、大学が好きなのかと思ってたけど、勉強するのが好きなだけかも。でも大学に来たから好きな分野がわかったし、「あ〜〜あなたも!」みたいな論文との出会いがあるから、大学が好きなのかなあ。
追伸:
思わず、あ〜と声を上げた。文字通り。今年の1月に、Handbook of memory politicsが発刊されたことはどこかに書いただろう。私が好きな先生が複数寄稿している。
この本の編者、Maria Mälksoo という名前に見覚えがあった。一回見たらあまり忘れない苗字だ。
https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/14623528.2022.2074947
ウクライナに対するロシアの帝国主義を述べたすごく良いとされる論文で、今週のユーラシアの授業で読んだのだった。なんでこの人が?と思ったけれど、彼女の中心分野はヨーロッパのオントロジカル・セキュリティーと東欧の関係なのであって、そうか全然離れたテーマじゃないんだ、と突然腑に落ちた。
ロシアの帝国主義とアカデミアの帝国主義についてもメモしておこうと持ったのに、先を越された(?)。おもしれ……
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