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ディズニーワールドで働く夢を叶えた物語 #0 渡米前編 "私の軌跡"

ディズニーワールドで働く夢を叶えた物語と題して、下書きに眠っていたnoteを数年の時を経て公開します。当時の悩みや葛藤、様々な経験が、誰かの背中を押すきっかけになればと思います。今とは異なる部分もあるかもしれませんが、どうぞご了承ください。


物語のはじまり

幼い頃から人に甘えることが極端に苦手だった私でも、何故か唯一ディズニーのキャストさんにだけは自分から声を掛けることができました。きっと平等にアイコンタクトを取ってくれて、絶対裏切らないという安心感をどことなく感じ取っていたのかなと今は思います。

かつて絵に描いたように落ちこぼれ、どこにも居場所がないと感じていたときに、唯一私を支え励ましてくれたのも、エンターテイメントの存在でした。漠然と、今も昔も、夢や感動、幸せ、安心を届けられ、子どもたちの心を救い、寄り添える何かに携わり、恩返しをしたいという思いがあります。

ディズニーワールドとの出会い

2019年1月から働かせていただくことになったフロリダのウォルト・ディズニー・ワールドに、私が初めて訪れたのは、20歳の頃です。世界中のゲストを魅了するディズニー・マジックに一瞬で心を奪われた私は、フロリダの果てしなく広がる青空を見上げながら、いつかここで働きたいと誓ったことを覚えています。

夢や感動で溢れる、地球上で1番幸せな場所で、魔法のような瞬間を演出するキャストになりたい。憧れだけが先走っていた当時の自分には全く手の届かない夢のような話で、実際、新卒で選考を受けた時は、残念ながらご縁がありませんでした。

大学卒業後は、国際的なスポーツエンターテイメントという分野に携わらせてもらいました。当時は、日々精一杯で考える余裕もなかったですが、心のどこかで、ここでの経験がディズニーでも役に立つと信じて、これは再び挑戦するための準備期間だと思っている自分もいたのかもしれません。

はじめは、大きな企業で全国転勤を選択したこともあり、配属先次第ではいつか希望に近しいことに携わらせてもらえるかもしれないと思っていた節もあり、数年後のチャンスを待っていようかという気持ちもありました。しかし、Jアラートや震災を経験したり、身近な人の死を目の当たりにしたりしているうちに、人生いつ何が起こるか分からない、フロリダに行かなかったらきっと後悔するという思いがふつふつと湧いてきました。

社会人3、4年目

まだ社会のことを全然わかっていないひよっこの新卒時代から、恐れ多いことに自分の母親より上の年齢のスタッフの皆さんのマネジメントなども担当させていただいていたのですが、自分の器とは相反する責任の重さや女性のキャリアについて考えることも多くなり、今後ももしマネジメントを担当させていただく道に進むなら、人間的な成長が必要不可欠で、スキルも経験も人としても圧倒的に足りていない自分への焦りや未来への不安もありました。自分はコレだと言えるものを納得するまで極めたい、なりたい自分から逆算した時、動かないといけない時期だと感じていました。

走りながら考える

そんな社会人3、4年目を過ごしていた頃、当時たまたま読んだとある本に書いてあった「走りながら考える」という言葉が自分の中で刺さり、マインドチェンジをしたタイミングで、好きな人と好きなことをしている人、夢を持って自分らしく生きている人が沢山いるコミュニティに巡り会いました。
そんな出会いが後押ししてくれた部分もあり、私も自然と好きなことに夢中になって、追いかけていきました。おかげで、夢のまた夢だと思っていたことが目標へと変わり、有難くも、いま現実になろうとしています。

夢を現実に

夢が叶ったと言ってしまえばそれらしいですが、考えすぎてしまう性格がゆえに実際に挑戦を決めてから最終的な決断に至るまで、フロリダへ行きたい気持ちと将来的なリスクとの間で、いまだかつてないほど悩んだり迷ったり、自分自身と向き合わなければならない場面がたくさんあったのも事実です。

20代半ばを過ぎ、やっと慣れてきた職場を離れ、新しい環境に挑戦するには、大きな覚悟が必要でした。一人では抱えきれず、押し潰されそうな時には、心から信頼している人に話を聞いてもらいました。渡米を選んだら、もう戻れない。入社以降お世話になった大好きな人たちに会えなくなる。嫌われちゃう。と思っていたので、その辛さに胸が苦しくなりました。

とりわけ就活が苦手だった私に、一番最初に内定をくれた企業で、まだ何にもやり遂げていない身での我儘な選択は、これまでの恩を仇で返すかのようで、言い表せない程の罪悪感から一気に気が重くなり、打ち明けるまでに時間が掛かってしまいました。本当に苦しくてお腹が痛かったです。未だに本当にこれでいいのか、不安は消えません。

そんな中、あり得ないほど数多くの皆様から激励の言葉をいただきました。中には反対されたり、もったいないと言われたり、帰国後は大丈夫なの?と心配されたりすることもありました。周囲の声や反応は様々で、冷静になればなるほど、怖くない訳がありません。

しかし、これから始まる新しい物語は、どう転んでもきっと私の生涯の財産になるはずと思って信じていました。そしていつか大切な人との間に奇跡的に命を授かれたとき、我が子に、自分の人生を持って、夢は叶うよと背中を押してあげられたら素敵だなと思って、そこはブレずに正直でいようと自分と約束しました。
たとえ外野の声が心無くても気にせずに、少なくとも自分は自分を信じてあげよう、自分の幸せは自分で決めようと思うまでに至りました。

まとまりのない文章で恐縮です。感情の変化やきっかけとなる出来事を全て綴りきれないのがもどかしいですが、こんな風にたくさんの点と点が繋がって今があるんだと思います。

そして忘れたくないのが、こんな私を応援してくださった方がいるということです。この決断をして、改めてその温もりを知りました。

これからの物語

支えてくださった皆様への精一杯の感謝の気持ちと心からの愛を込めて、当分は、悩みながらもがきながらの奮闘記になりそうですが、更新していきます。もしよかったらお付き合いください。少しでも何かを届けられたら幸せです。

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