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世界の誰もがそれを「不幸」と呼んでも

私はお父さんにに殴られて育った。
具体的に描写するとあんまりにも可哀想な感じになってしまうので
やんわりと書いておくのだけれど
殴られるのは日常で
血を見ることも多々あったような気がする。
それがあまりにも普通のことなわけだから
特になんとも思っていなかったし
今もなんとも思ってなくて
たぶんこれからもなんとも思わないのだと思う。
しつけの一環、とお父さんは言っていたし
私自身も「自分が悪いから殴られるんだよなあ」と思っていた。
しつけの一環だからと言って手を上げていいのかと言う話だし
今だったらテレビのニュースを見て
「あ、うちはDV親なんだ」
と気がつくことも出来たかもしれないけど
当事者ってやっぱり、生きていくのが大変過ぎて
これはおかしいんじゃないかとか
誰かに助けてもらおうとか
そういう考えには至れないものなんだと思う。

お父さんは私が高校生の時に、急に家を出て行って、いなくなった。
いわゆる「蒸発」というやつだと思う。
遠い街で仕事があると言って出て行って
そのまま帰ってこなかった。

大学生のときに私が緊急入院して
その時に一度だけ会ったことがあるけれど
背中が小さくなったなあと思った。
私も昏睡から目が覚めたばかりだったので
それ以外はあんまり覚えていない。

お父さんのことを憎んでいるかと言われれば
まったくそんなことはなくて
むしろ
「今頃どこか知らない街に居るのかな」
「元気にしてるのかな」
「そばに居てくれる人はいるのかな」
などと身を案じていて
まるでさだまさしの「案山子」の世界観だ。
憎んでいるとか憎んでないとかは本当に関係なくて
一人の人間として幸せに生きてて欲しいなあと心から思う。

苦労したかと言われれば苦労の連続だったような気もするけれど
そもそも「苦労」がデフォルトすぎて「苦労」と思ってないかもしれない。

とはいえ精神的な病気になったりして
10代後半から30歳手前までほとんど入退院しながら過ごしたので
私の周りの人たちは
「大変すぎる人生だったよね」
と言ってくれる。
そして
「ちゃんと不幸だったと思った方がいい」
「自分が可哀想だったと認めてあげた方がいい」
「本当はお父さんのこと憎んでるけど蓋をしているだけだよ」
と言ってくれたりもする。

だけど私は心の中のどこを探しても
不思議と「憎しみ」なんてものは出てこなくて
つらいなあとか苦しいなあとかは、そりゃあ思っていたのだけれど
お父さんを恨んでいるかと言われたら全くもって「NO」なのだった。
つらすぎて蓋をしてるとか、忘れてしまってるとか、そんなことも、多分ない。
ないものはない。
どこを探してもない。
そんな感じなのである。

すごく不思議なのだけれど
お父さんのことを思い出すと
いつも浮かんでくるのは
プールに連れて行ってくれて、帰りにオレンジのアイスクリームを買ってくれた思い出だった。

「チョコじゃなくてええんか」

と言いながらオレンジ味のアイスクリームを買ってくれた。
わたしはそのアイスクリームがすごく好きだった。

夕焼け空を眺めながらお父さんとふたり、ロビーに腰掛けてアイスクリームを食べた。

そんな、なんてことない思い出だった。

お父さんは確かにわたしを殴った。
だけどお父さんは寂しかったんだと思う。
ただとにかく、寂しくて、ままならない思いを抱えて私に手を上げていた。
小さい頃からわたしは、それが分かっていたのだと思う。
不思議だけれどお父さんのことをずっと
「寂しい人だな」
と思っていた。
高校生の時に心がおかしくなって連れて行かれたカウンセリングルームで
箱庭療法をやった時にも
「お父さんのことをどう思う?」
と聞かれて
「寂しい人だと思う」
と答えた。

寂しいからってやっていいことじゃあないけどねえ。
と大人になって思う。
だけど憎むよりも、呪うよりも、蓋をするよりも
そもそも全部

「もうええねん!!」

と開き直って
全部ざばーっと水に流して
それよりも一人の人間として真面目に幸せになってくれよな!!
と願っている方が
私にとってはすごくラクだし
ずっと性分に合ってるやり方なのである。

世界の誰もがそれを「不幸」と呼んでも
私にとってはただの「過去」で
「過去」は永遠に静かに横たわっていて
時々こっちの様子を伺っていたりはするけれど
起き上がって襲ってくることもないし
それ自体に「今」を決められたりなんてしない。


過ぎ去ったことは
お風呂のお湯がザバーっとあふれるみたいに流してしまって
「ふう、いい気持ち」
と温もってしまえ。


いい加減なようで投げやりなようで
これは私の人生におけるモットーなのだと思う。

世界の誰もがそれを「不幸」と呼んでも
私にとってはあの
夕暮れ時のロビーで食べたオレンジ味のアイスクリームの方が
ずっとずっと大事で素敵で
「しあわせ」
な思い出だ。

とは言えやりきれない思いや
つらい病気を抱えてここまで歩いてきたわけであって
大事なのは
そんな自分を褒めて認めて
よく頑張った!!
これからも大丈夫!!

と二人三脚していくことなのかもしれないなと
そんな風に思ったりする今日この頃です。

お父さん、どこで何をしててもいいから
人として真面目に
出来るだけかっこよく
自分に嘘はつかないで
生きててください。

私もそう思って生きてます。
毎日健康でしあわせに、生きてますよ。

ありがとうね。


おしまい。

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