げっぷ
昔、よく家にげっぷをする女の人が来ていた。
げっぷが他の人より多いとかではなく、ずっと止まらないのである。立て続けに「げえっげえっ」とやり続ける。それでいて嘔吐する訳でもない。
その人はよくうちの母や祖母から浄霊をもらっていた。浄霊というのは文字通り霊を清める行為のことだ。宗教的行為であり、かつ医療行為であるともされている。患部に手のひらをかざすことで、聖なる光によって体の中の毒素が清められるのである。毒素が清められる過程で「浄化」が起こる。この浄化というのは時に病気などの症状を伴う。逆に言えば、病気というのは浄化の一環であり、決して忌むべきものではない。毒素がすべて浄化してしまえば、自然に治癒していくのである。
うちの家族は世界救世教という宗教に入信している。私も幼い頃は信者だった。救世教は、浄霊という健康療法を推進し、西洋医学を否定する宗教である。
その女の人の名前は忘れたけれど、小さい頃の私はその女の人が怖かった。なんでうちにやってきてさんざんげっぷして帰っていくのか。気味が悪かったし、幼心に不快だった。その人が来た時はだいたい1階で浄霊が行われていたので、私はいつも2階に避難していた。
そのうちに、その人はうちに来なくなった。いや、私が大きくなって家を開けることがだんだん増えただけなのかもしれないが。(その人はいつも平日の昼間に来ていた気がする)
親戚とかでは全くないのだけど、少しだけ、私のお母さんに顔が似ていた。
小学4年生の頃、私もげっぷが止まらなくなった。今思い返すと多分当時部活で練習していたトランペットの影響で、胸に空気が溜まってしまっていたのかなと思う。しかし私も母も、これが「体と魂の浄化」だと信じて疑わなかった。
私はひたすら浄霊を受けた。それでもなかなかげっぷは止まらなかった。体の中に空気が溜まって、夜横になると苦しくて眠れないことも多々あった。
その頃はしょっちゅう学校の保健室にお世話になった。養護教諭の先生は最初は優しくしてくれていたけど、だんだん、私が来る度にうっすらと疎ましさを滲ませるようになった。
ある日、昼休みに具合が悪くなって、保健室に行くかどうか考えあぐね、結局昼休みが終わる頃に保健室に行った。すると、保健室の先生は「今、掃除の時間が始まる頃に来るのはズルだよ」と厳しい顔で私に言い放った。私を保健室から追い出すことはしなかったけど、私はやるせない気持ちでいっぱいになった。スラッと痩せていて、すごく美人な先生だったことを覚えている。
先生は、しょっちゅう来る私に「病院に行かないの?」と聞いた。私は「お母さんが反対するから」と答え、救世教の話をした。先生は、小さな紙に、私を病院に連れていくことを勧める手紙を、私の母宛に書いた。それが、何回もあった。私は母に渡したり、渡さなかったりした。渡しても、「まあ、救世教じゃない人はそう言うよね」と気を使ってみせた。
1回だけ病院に行ったことがあったけど、「あー、胃が悪いですね」と胃薬を渡されて終わった。普段はやさしい母が「藪医者だ」と苛立って、その胃薬を捨てた。
今はもうげっぷで苦しくなることはないし、救世教を信じることもやめた。薬の飲み方を初めてちゃんと知ったのは、19歳の時だった。病院では保険証を出すタイミングがわからず、薬局では「お薬手帳はお持ちですか?」と訊かれ、「お薬手帳ってなんだろう」と思いながら「いえ」と答えた。
今では、平常心で病院に行ける。くまさんが描かれた、かわいい表紙のお薬手帳も作って貰った。薬も上手く飲めるようになった。でも、少しだけ、お母さんごめんねって思うこともある。
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