⑴15歳のとき

15のとき
アパートでひとり暮らしをしてた私のところに
母が突然訪ねてきた

挨拶もそこそこに
相談があるの。と切り出した母。

父に女がいる と。

『離婚しようと思う、どう思う?』

そう訊かれて私は即答した。

「アンタが離婚したいならすればいい」

その言葉を遮るように、

『でも妹が卒業するまでは、待った方がいいかしら』
とも言った

そう言い始めた母に怒りを覚えながら
それでも私は表情を変えず、感情を抑えて

「妹のために我慢した、と不幸ヅラ見せられる方が妹のためにならない」

「父への恨みを抑えられず、暗い顔されるくらいなら離婚した方が妹のため。」

「恩着せがましく、あなたのためとか言われながら顔突き合わせるなんてたまったもんじゃない」

一気にそこまで言った。

そのあとも何度か母は
自己弁護するような言い分を続けたが

私は一貫して、同じ答えを返した。

期待した答えが出るまで話を終える素振りがなかったから

何度か同じやり取りを繰り返したあと

「あとは自分で考えて決めて。」
と付け足した。


そう言われて母は諦めたのか
立ち上がり、黙って帰って行った。




18歳のとき

半年ほど実家に戻っていた私は

ほとんど顔を合わすことも言葉を交わすこともなかった母と、
何がきっかけだったか、口論になり

母が思わず私に言った言葉。

『あなたのせいでお父さんは女を作ったのよ。
考えてみたら
あなたがおかしくなった頃からよ。
全部あなたのせい。』




ー私がおかしくなったんじゃないー


私は、母の態度を受けて、
それに応じただけ。

私は排除されたことを悟ったから。



この日、私から母親という存在が消えた。




25歳のとき

東京でトラブルに巻き込まれていた渦中の私に
突然母から電話何かかってきた。

ただひとこと『山形にいるの』と。

察してすぐ
「そのまま上野に来て。新幹線に乗って。
中央改札で待ってるから。
新幹線を降りたら中央改札を出て。」


2時間後、
私は東北新幹線上野駅の中央改札前で待った。

20分ほどして、母が出てきた。


お腹は?

少し

蕎麦でいい?

うん


蕎麦を待つ間、私はいまの状況を説明した。


トラブルがあっていま、知り合いの事務所に寝泊まりさせてもらってる。
悪いけど、いま余裕はない

とりあえず
落ち着くまでそこにいてくれていいけど
なにかしてあげられるわけではない


母は 『わかった、、、』と項垂れた


ーー 今まで確執はあったけど、
私にとっては母。
きっと寂しい思いをしてるんだろう…
もう、過去のことは水に流して、面倒見てあげてもいいかな… ーー

ふと心の奥底で、そんな風に思ってはいた。




飲食費としてほぼ毎日ニ千円を渡した。
3日ほどすると、母は散歩に出るたびに
花の小さな鉢を買って帰った

たまりかねて
「悪いけど、余裕はないのよ。
ムダに使わないで、渡した分でやりくりして。
必要以外に使わないで。」


一週間ほどしたある日
営業電話をかける横から

『そんな心にもないこと言うもんじゃない
いい加減なこと言うもんじゃない』

と、聞き耳を立てて小言を言うようになった。


営業電話ができなくなり
同伴も当日指名も減って、店での立場も悪くなって行った

それでも毎日二千円を置き、
店で同伴の約束を取り付け、
自分は同伴の日にだけ
まともな食事にありついた。


半月ほどして母が
どこだかの博物館に行ってきたと言って
帰りに、家政婦の仕事を募集している看板を見かけた、と言った。
『行ってみようかしら』と。

「行くだけ行ってみれば」と同意して
面接に行くための服と靴、化粧品、そして履歴書を買いに2人で出かけた。

3日後、面接に受かって勤めに出ることになった。

まとまった金がなかったので、客から借金をして、母にアパートを借りた。

母が急に来てから2ヶ月が経とうとしていた。

母が家政婦の仕事をしながらアパートで暮らして2週間ほどはやっと自分の時間が持ててホッとしていた。

しかし一旦売り上げが落ち、借金も抱え、なんの打開策もない私は、心底疲れ切っていた。

体調が悪くなり、店を休みがちになって、
母のアパートで休ませてもらおうとした。

3日め。
何年かぶりに、昔の男との共通の友人で、信頼していた人から突然電話がかかってきた。

--どーしてる?
まぁ、うん、あんまり良くない。
--そうか、、、
--春に仕事始めるから、お前に手伝って欲しいと思ってる。どうだ?戻って手伝ってくれるか?
わかった。
--それまで踏ん張れ。
わかった、、、ありがとう。
--じゃぁな、踏ん張れよ
うん


涙が溢れた。
半年、なんとか踏ん張れば、
ー なんとか乗り切れば、、、ー

それだけで頑張れると思った。


それでも体調は良くなかった。

いつもと様子が違ったので病院に行った。
4ヶ月だった。


一週間ほど、母は家政婦先の話を楽しそうに話したが、ぼんやり聞いてあまり記憶にはない
母がいない時間はほとんど眠っていた。


友人からの電話から10日めの朝

今度はその“昔の男”から電話がかかってきた。

ー その友人が死んだ ー  と。


すぐに支度をして、新幹線に飛び乗った。
通夜の席、夜通し友人のそばで過ごした。

仲間のひとりが泊めてくれることになり
仮眠をとりに一旦仲間の家に行った。

翌日葬儀会場、火葬場へと。

荼毘を見送り、東京へ戻った。


ー希望持たせといて、なんで?ー
ーなんで置いて行ったの??ー

本気じゃない、、、ただ悔しかった。



数日また眠った。


翌週、迷った末、
お腹の子の父親となる男に話した。

金を出すから堕ろせといわれた。


黙って産むことも考えた

だけどこの状況で産めば間違いなく苦労する

悩んだ。

ー 子どもを巻き添えにはできない… ー



手術を終えて、半日街をブラつき
アパートへ戻った。

とにかく眠った。

翌日、勤めに出た母は帰って来なかった

夜中に目覚めたとき、やはり母はいなかった。

明日待って戻らなければ、連絡しようと
ぼんやり思いながらまた眠った。

そして翌日の夜、
母のひいた固定電話に、叔父から電話がかかってきた

『母はいるか』と聞かれ
「昨日から帰っていない」と答えると
『届けたのか』と訊かれた。
「今日一日待って戻らなければ届けようかと…」
と、言い終わるか終わらないか内に

『それでも娘か!』と怒鳴られ
しばらく罵られた

小さい頃に数回会ったくらいで、
記憶にもないような叔父に罵られながら
ー母は、私についてなにを話していたんだろうー
ーどんな娘だと話していたんだろう、、、ー

そんなことをぼんやり考えていた。


そして母は戻らなかった。

妹に電話して、

「突然東京に来たからしばらく面倒みてたけど、
私も余裕ないし仕事にならないからアパート借りた。1ヶ月ほど家政婦してたけど、
また突然居なくなった。
そのうちそっちに連絡あると思うから、よろしく」

それだけ伝えて切った。


ほんの1ヶ月、されど1ヶ月、
ただただ眠れたのは、どこか、

一瞬《娘でいられた時間》だったのかもしれない 


今思えば、そんな風にも思える




客のひとりと電話で話し、
運転手兼子守を頼まれた。 

住込みという条件で。



10歳7歳の男の子と、5歳の女の子。

5歳の子は母親譲りで生意気だった。
私が外に出かけている間に部屋に入り
貴金属を盗んだ。

10日もしないうちに、住込と子守は辞めさせてもらった。

部屋を用意してくれ、そこから運転手と使い走りをした。
時々飲み屋の手伝いもさせられた。

そこで知り合った男と
口裏を合わせて、そことは手を切った。

男は部屋を借りてくれ、
それから5年一緒に暮らすこととなった。

大事にしてもらったし、私のすべてを受け入れてくれた人だった。どこに行くのも一緒だった。

信頼してた。


4年目、男は横浜で捕まった。
拘置所に入る前に、一度家に戻ることを許され
帰ってきて、
《朝迎えに来るまで一緒にいる》
と言ってくれた。


毎週月曜に2時間かけて面会に行った。
2日に一回手紙を書いた。
他愛もない話しを、書き連ねた。
出てきたら、一緒に京都へ行こう、
京都にはこんな店があって、ここが好きで、
どことどこがどんなで、、、
あそこにも行きたい、ここにも行ってみたい
そんなことを毎回書いた。

裁判所にも出向いた。半年して、
執行猶予付きで出られることになった。

新しい服を買って、迎えに行った。

もう更生すると約束してくれた。


3ヶ月経って、また元の仲間と連むようになり
たまに連絡が取れなくなった。

ー また始まった ー   と思った。

先輩の家に家出して2ヶ月ほど世話になっていた


先輩が朝刊を、持ってきて

彼が弟のように可愛がってた男がリンチにあって死んだと知った。


夜、彼に電話をかけたが出なかった。
先輩に礼を言って、家に戻った。


彼は普段通りに迎えてくれた。
そして、黙っていた。
わたしも黙っていた。


半年間、再び一緒に過ごし、

決意した。


「母の具合が悪くなって、誰も面倒見る人がいないから、帰る。 色々あったけど、一応娘だから
こんな時くらい娘らしいことしなきゃ。
母が良くなったら戻って来るね。」

彼はウソだとわかってた。


最後の日、
トラックに荷物を積んで「行って来るね」と言った私に、

もう帰ってこないだろ…

とつぶやいたまま、俯いて、
走り出したトラックの助手席に座る私を、
一瞬チラっと見ただけで背中を向けた。


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