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災害研究者が新型コロナウィルス感染症について考えてみた(6)新常態への移行を阻むもの

コロナウィルスによる新規感染者数が大幅に低減してきている。最近でこそ、東京都の感染者数が徐々に増加する傾向は認められるものの大阪の感染者増がゼロを記録する日も珍しくなくなってきている。

ウィルスの脅威が去りつつある実感を持つ人々が増えてきているせいか、街の様子も日常に回帰しつつある。電車やバスの中は今や通勤通学の客で一杯となっている。近くのラーメン屋に若者たちが列をなして密集している様子を見かけたこともある。変わった様子と言えば、マスクを付ける人々の方が多数派になったことくらいである。

急遽導入されたテレワークや在宅勤務といった働き方も、新型コロナウィルス以前の状態に回帰する様子が見られるようになってきた。外食、小売、宿泊業等のサービス産業のように、三密環境の回避要請や外国人観光客の激減に伴って厳しい状況が続く産業も存在するものの、まるでコロナウィルスなど存在しなかったかのように以前と同じ日常に回帰しつつ産業も見られるようである。

コロナウィルス禍が過ぎ去ろうとしつつある中で、我々の生活も「現状復旧」を図ろうとする動きが目立つようになってきている。

1.不可逆な変化ー神戸港の経験

しかし、一度起きてしまった変化を逆戻しすることはできない。時代の流れには逆らえない。「コロナウィルス前」と「コロナウィルス後」は明確に区別され、不可逆な変化が起きていくのではないだろうか。

1995年に発生した阪神・淡路大震災では、震災の前後で起きた大きな変化に神戸港が翻弄されることとなった。地震によって壊滅的な被害を受けた神戸港は、港町神戸の象徴であるだけでなく、流通業にとって欠かせない公共インフラでもあったことから、その復旧が急がれた。神戸港の港湾統計を見れば、地震が発生した次の年度の1995年度には入港船舶数やそのトン数に大幅な落ち込みが認められるものの、その後、同港における入港船舶数は震災以前の水準に近いところまで急回復している様子が確認される(図1)。神戸港はその復旧とともに一時的にその利用者を呼び戻すことに成功したのである。

しかし、そうした回復への動きは直ちに勢いを失っていくことになる。1997年度以降、神戸港の入港船舶数は大幅に減少し、その後長く停滞の時代に突入していくことになったのである。

この背景には、早期の復旧を目指すべきか、それとも時代に適合した大水深バースの建設を伴う復興にするべきか検討した結果、復旧案を選択したということも要因として挙げられるものの、世界的にアジアへと開発の軸足が移行していく中で、神戸港が物流拠点として競争力を失いつつあったことも関係している。

神戸港の再生は都市復興に向けた重要なプロジェクトの一つでもあり、市民の関心も高いものであった。しかし、神戸港はその物理的形態を復旧させることで、その経済的機能を復旧させることはできなかったのである。

図1 神戸港の入港船舶数の推移(単位:船舶数:左軸、船舶トン数:右軸)

図1

データ出典:神戸市「神戸港港湾統計」

2.「コロナウィルス後」

今後の日本社会の運営においても、様式としての「コロナウィルス以前」の社会様式を再現したとしても、機能としての「コロナウィルス以前」の状態は再現できないのではないか。

果たして、航空便を再開させたとして、以前のように訪日外客が日本中に溢れるようになるのだろうか。一度、家庭を中心とした働き方を経験した人々は、以前のように通勤や会社中心の時間の使い方に回帰したいと願うのだろうか。学校に集まる必要がなくなったことで、改めて学校の価値を再検討することになったのは、学生だけでなく教員もそうではないのだろうか。われわれは都市部に人口を集積させることが経済発展に向けた消極的な選択肢であることを見て見ぬ振りをしてきたのではないだろうか。

元々、上記のような状況が従来から問題を抱えていなかったわけではない。今回の経験をきっかけとして、良いものは残し、問題のあることは改めるような動きが現れてくることはむしろ自然なことだろう。伝統に固執し、現状の絶えざる批判と改善を辞めてしまえば、それは保守というよりも守旧である。時代に合わせて変化することなしに、組織や社会はその連続性を維持できないだろう。

3.変化を阻むもの

「新しい生活様式」「Withコロナの時代」。こうした表現が語られることとは裏腹に、現実は以前の社会生活のあり方に回帰しつつある。Stay homeやテレワーク、近隣の飲食小売店と顧客のつながり等、様々な変化を経験しつつも、そうした中から未来を形作る芽を育てていくことが難しいのはなぜなのだろうか。

組織内で変化を厭う勢力があること、現状回帰はそのイメージが明確であることから取り組みやすいこと、政府の方針が明確でないことや戦術論に終止していること等、各論的な原因については既に様々に議論がなされてきており、現実に目にする諸現象を説明する上で正しいと思われる記述も少なくないように思われる。

しかし、一番の理由は、日本社会のコンセンサスとして「将来の発展を目指す」という発想を持つことができていないからではないだろうか。

新型コロナウィルス感染症は完全に収束したわけではない。今後、海外からの訪日外客の増加や社会生活の正常化に伴って、再び流行する可能性がないとは言えない。加えて、同感染症がもたらした間接経済被害は確実に2020年の第1、2四半期の経済活動を蝕んでいると思われる。こうしたことから、一部企業の倒産やそれに関連した生活困窮者の増加にとどまらず、雇用の縮小や賃金の低下、生産体制の見直しに伴う投資計画の変更等、様々な影響が出てくるものと思われる。

今後は、こうした目の前の社会的課題を克服しつつ、新型コロナウィルスを含む感染症に適応した社会の構築に向けて、都市と地域社会の将来像や経済活動の様式を大きく変えていかなければならない。そして、こうした変化は行政計画の形成過程やそれを支える政治のメカニズムにも大きな変更を迫るものとならざるを得ない。もし、こうした変化が不十分なものにとどまれば、目先の経済的停滞を克服することができないだけでなく、将来再び感染症や災害が発生した際には、同じような被害を繰り返すことになる。

危機を契機として、「現在の社会的課題と災害に適応した社会の建設」に向けて大きなエネルギーを発揮した例としては、震災復興を挙げることがでいる。しばしば、災害復興は大規模な財政政策の問題として語られがちである。そのため、資金の用途やその景気に対する影響が中心的話題として取り扱われる。しかし、震災復興の本質とは、災害を契機として地域社会の新しい歴史を作り上げていく営みである。行政は地域社会の現状を改めて見つめ直し、将来の構想を熱く語った。企業は自らの存在目的が営利の追求にとどまらず、投資や雇用を生み出す地域経済の担い手であるとの自覚をより強くした。市民は自身の生活が平穏であることを願うだけでなく、コミュニティの有り様や地域の文化が豊かな社会に欠かせないことを再認識した。被災地で震災復興が語られていたときには、こうしたより良い社会の建設に向けたエネルギーが行政、市民、企業の間に満ちていた。

だが、被災地外の人々にこうした願いが共有されなかった点が、震災復興に向けた大胆な政策対応を難しくした。なぜそれほどまでの熱意と財政的リスクを伴ってまで、現状回帰ではなく、まだ見ぬ社会の建設を目指さなくてはならないのか。物理的機能の回復が経済・社会的機能の復旧に繋がると素朴に信じる被災地外の人々には、理解できなかったのかもしれない。

しかし、今回の新型コロナウィルス感染症は全国的な現象である。程度の差こそあれ、誰もが感染症の影響下に置かれ、自らの社会生活や行動において大きな変化を経験することとなった。今回の危機を奇貨として、より良い社会の建設に向けて「将来の発展を目指す」ような動きを加速させるような運動や、それを支える組織や草の根のリーダーに対する支持が高まることを願いたい。



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