Netflixドラマ「火花」の感想 人生 お笑い
週末にかけてNetflixのドラマ「火花」というドラマを見ました。
2016年の作品で、10話の長いシリーズで、演出的な面では退屈な面もありましたが
夢に向かって若い頃東京で努力していた自分の姿と交差したり、いろいろと考えさせられたり、共感したりして楽しく視聴しました。
お笑い芸人の「又吉直樹」さんが自身の経験をもとに創作した小説が原作でもあります。
まず、「火花」の全体的なストーリーは、徳永という新人芸人が、師匠と仰ぐ神谷先輩と出会い、物語はスタートします。
既存のギャグを拒否し、斬新で世に出たことのないギャグを追求する神谷は、実力はあるが、たびたび成功軌道に乗ることはできない。
徳永はそんな先輩に憧れながらも、自分自身は世間と妥協したギャグを披露することで物語は展開していきます。
起承転結での大きな葛藤や特筆すべき悪役はいない。
むしろ周囲はみんな主人公を応援しています。
ある意味、自分自身が克服すべきヴィランなのかもしれない。
大きな葛藤や回復はなく、淡々と夢を追いかける青年の物語を描いているが、最後には思わず涙を流していました。
おそらく、青春を捧げて努力してきたがうまくいかなかった悔しさ、支えてくれた周りの人たちへの感謝、何より夢と目標を現実的な問題で諦めるという喪失の悲しみなどが、私が経験した経験と交差して複合的に作用したようだ。
心に響く台詞があった。
お笑い芸人はボクサーに似ていると、ボクサーがパンチを打つように、自分たちは見に来た観客に向かってギャグパンチを打つ、そのギャグパンチは打てば打つほど人を幸せにするのだ。
笑いとユーモアとは、それだけ私たちの人生でも重要な役割を果たしていると思います。
特に人生が辛く、困難な時期はさらにそうだ。
私たちは何らかの形で喪失を経験する。
すべては老化して変化するからです。
老化と病気による健康の喪失、経済力とお金の喪失、人とキャリアの喪失、夢と目標の喪失など、このような喪失はなるべく避けたいものです。
喪失が起こると胸が痛くなり、悲しいことばかりで、立ち直るのにかなり時間がかかったり、ショックで立ち直れないこともあります。
「喪失の喜び(フランク・ブルニー)」という本で、視力を徐々に失っていく著者は言う。
笑い、ユーモアがこのような真実とショックから牙を剥く役割を果たすと。
「ユーモアはどういうわけかすべてを落ち着かせる力がある」と。
私たちは見落としているのではないだろうか。
ユーモアの力を、そして人々に送る優しさと笑顔の力を。
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