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【20代の無茶な経験】富士山貧乏旅行記【最終編】

まもる店長が20代に無茶にママチャリで富士山へ行った旅行記録に基づいて作成しました。

1話は下記URLで​

2004年8月28日(土) 放浪1

結局、私はバスに乗ることになっだ。ヒッチハイクを考えた瞬間もあったけど、駐車場には車がないし、しかも雨まで降ってきたから…あきらめることにした。

バスの運転手に道を尋ねると、降りるときに教えてくれると親切に言ってくれた。でも、運賃が思っていたより高くてびっくりした。私が持っていたのはたったの2千円なのに、バス代はなんと1500円まで上がっちゃった。

お金を払って、残りのお金では松田までのJRに乗れないと思って、裾野駅に行って食べ物を買って、時刻表と電車の運賃を調べだ。

自転車が置いてある松田駅までの運賃は..750円しかしないじゃない。
お腹がめっちゃ減ったから先ほどコンビニでパンを買わなければなんとかなるお金だったかもと思った。。

そうなったら、急にパニックになっちゃった。
郵便局のATMでお金を引き出すつもりだったけど、なんと日曜日は郵便局が閉まってるんだって。

ATMは夜遅くまでやっていると思ってたのに、郵便局によって違うみたいた。

ここで一日過ごして、月曜日に出金して出発するしかないのかな…一日中何も食べずに過ごすなんて、考えただけでも辛いし、もっと困ったことになる。

それでもさっき買ったパンとフライドチキン、牛乳、おにぎりを一気に休まず食べた。

たった750円でこんなことになるなんて、結局駅に戻って、どうしたらいいか考えだ。
自転車がある松田駅に行かなくちゃいけないんだ。

そこで駅のベンチに座っているおばさんに事情を説明しながら、韓国産の海苔を差し出して、勇気を出してお金を貸してもらえるか尋ねてみた。

すると、おばさんは困った顔をして、駅員さんに頼んでくれた。

駅員さんが私に事情を聞いてきて友達が松田駅にいて、そこまで行かなければならないって説明した。自転車があるって言ったら、ちょっと変に思われて長い事情を説明するのも面倒くさい…

でもまさかこんなことになるなんて思ってもみなかったよ。
駅員さんがなんとかしてくれるって言って、無料券(?)をくれたんだ。

ああ!こんな方法もあったんだ!本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。

東京に戻るためにも、自転車が無事に置いてあることを祈った。お金の大切さを改めて感じたし、もっと日本語を勉強しなきゃいけないと思ったんだ。

バッグの中は水浸しで、嫌な匂いがする。服にも水が染み込んでいた。


<焦点がうまく合わないけれど、その時にもらったチケットです。ちゃんと読んでおくべきだったな…>


古びたノートを取り出して読んでいると、ふとこの旅行記を完成しなければならないと思った。
自分も結構な怠け者だな、と感じた。

その時もらったJRの切符は無料切符ではなかった。ちゃんと読むべきだったが、以前に地下鉄で似たような切符をもらったことがあったので、つい無料切符だと勘違いしてちゃんと読まなかった。
松田駅まで行って支払うことになる証明書だった。友達がいると言ったことが原因だったのかな。

雨は降るし、自転車はそこにあった。到着すると夜11時頃…そうして事情を説明したのに、相手からの理解も得られず、絶望的な気持ちになった。時間もなかったので、駅のホームの柵の向こうにバッグと荷物を投げて飛び越えた。ルール違反をするのは気になったが、状況的に仕方なかった。
しかし、そこで面白いことに柵を越えて出たものの、どこに行けばいいかわからず、再びその駅に戻ることになった。

夜の0時が近づくと、駅員がドアを閉めると言って追い出されることになった。近くに公園はないか尋ねると、ないと言わた。日本では公園がたくさんあると聞いていたのになぁ。

どうしよう、雨の中を歩くわけにもいかないし、とにかく自転車で行くことにした。
体を動かした方がいいと思った。
国道246号線を走っていると、大きな高架道路の工事現場に遭遇した。
雨からは避けられそうだが、脇道は車が通るし、雨は降ってきますし、疲れて寝れなかった。1時間ほど寝ながら今の状況を考えたりして、5時に出発した。

まだ雨は降り続いている。旅の中で最も絶望的な状況は、雨が降って自転車がパンクしてしまった時だ。さらにお腹もすいてきた時だ。

以前に親切なおじいさんがいた公園に再び到着し、自転車の修理を行いながら東京に向かってペダルを漕ぎはじめた。
まだ約70キロも残っているんだ。車で行けば1時間程度の着く簡単な距離だが、自転車で行くのは相当な体力と忍耐力が必要な距離だ。


「タイヤの自己修理を終えて...」

ああ、さっきの工事現場に捨てられていた傘も手に入れた。

傘を持って再出発した。

2004年8月29日、帰宅

2回目のパンクが起きた。とある児童公園に立ち寄り、雨を避けながら修理した。
全身とバッグがびしょ濡れで、修理するのが大変だった。
パンクテープを貼るためには水気がないことが必要なのですが、水浸しでうまく貼れなかった。また修理した箇所が再びパンクしたようです。


【入り道がきれいなキャンパスだった】


【あんな風にパンクを直した】

ずっとずっと自転車をこいで進んでいく。足は疲労と筋肉痛で触るだけでも痛くて感覚がなかった。

途中、別の自転車旅行をしている人を見かけた。ぱっと見、外国人のような雰囲気だが、あまり確認する気は起きなかった。

いよいよ東京都に入った。12時間の走行...しかし、それだけでは済まない。
宿がある池袋まで行かなければならなかった。

わかりやすい大通りに出ましたが、間違った判断で横道に逸れてしまい、迷子になりかけた。迷いながらも親切なおばさんの助けで大通りに脱出した。

それでも宿まではまだ長い道のりだ。交番に二度尋ねた。おまわりさんもこのママチャリで富士山に行ってきたと言ったら驚いた。

東京に入ってから約3時間で宿に到着しました。何だか緊張が解けて眠気が襲ってきて、足もほぐれるような気がした。

シャワーを浴びた後、ベッドに倒れ込み、一日中死んだようにぐっすりと眠った。

【富士山自転車旅行記を終えて】

すごい旅行記みたいに書いておきながら、もっとすごい人の旅行記を見たことがあります。
福岡から東京まで自転車で一周した人の旅行記でした。しかし、私にとってはこの富士山自転車旅行は、日本の様々な側面を初めて体験できた特別な旅行でした。

2004年の夏、当時引きこもり生活をした私は日本でやりたいことを実現したいという意志を持ちたくてこの旅に挑戦しました。
この旅は私にとって、何でもできるという意味での挑戦であり、格別な意味を持つものでした。だからこそ、時折初心を失ったような気持ちになったとき、この旅行記をもう一度読み返し、当時の思い出に浸ることができます。

旅の醍醐味はそういうものです。人生に似ていると言えるでしょう。何が起こるかわからず、誰と出会うかもわからない。

そして、選択の岐路に立たされることもしばしばあります。果たして私の人生の旅にはどんな出来事が待っているのでしょうか。ただ一つ願いたいのは、それがエキサイティングなできことだったらいいなと思います。

#わたしの旅行記


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