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かつて眼下に望んだ白州の森に51年ぶりに帰ってくる…

 コロナの感染で3連休の中日に予定していたマスターの座談会を中止せざるを得なかった。スケジュールを調整してくれていた参加予定のマスターには大変申し訳ないことをしたと思っている。このところのハードスケジュールと、この夏の猛暑・酷暑で、思っていた以上に体がダメージを受けていたのかもしれない。普通の人でも体力的にキツいのに、全国あちこち、考えてみれば5月から20ヵ所近い蒸留所を訪れ、その間に琵琶湖、大阪フェス、北海道フェス、TWSC授賞式、その大試飲会、そして横浜フェス、京都ウイスキーメッセと、駆け抜けてきた。気がつけば正月3日に東京に出てきてから1日も休みがなかった。鎌倉に帰ることもできず、不便な暮らしを続けていた。そのツケも回ってきたのだろうか、ここへきてまさかのコロナである。

 と嘆いていても、しょうがないので、16日の土曜日からガロアの原稿、コニサー倶楽部の原稿、イヤーブックの校正・執筆、そして10月15日のコニサーイベントの資料作りにと、仕事復帰している。ということで3連休は逆に無人のオフィスに行って、半分仕事。連休明けの昨日は朝10時に特急あずさで久しぶりに小淵沢、そして白州蒸溜所へ行くことに。

 白州は50周年事業、100周年事業でビジターセンターなどの大リニューアル工事をやっていたが、いよいよ10月2日(月)から再オープンするという。その前に取材をして、次号のガロア(11月10日発行予定)で載せるためだった。さすがに5日間自宅療養していたこともあり、久々の外出はキツイ。12時に小渕沢に着き、ちょっと駅前でソバを食べ、1時に蒸留所へ。

 新しくなったセミナールームからビジターセンター、そして3000円コース、5000円コースのツアー内容に沿って蒸留所のあちこちを見せてもらう。白州にくるのは2019年以来、実に4年ぶりだったが、いろいろなところがリニューアルになっていて、素晴らしい。レストランはまだ工事中で、これは来年のオープンだという。それにしても、今回4年ぶりに訪れて気がついたのは、白州の森がこの4年間で成長しているということだった。

 コロナで人が訪れず…ということもあったのかもしれないが、森の姿が以前にも増して美しい。白州には春夏秋冬、それこそ20回以上来ているが、こんなに森がいきいきとしていると感じたのは、初めてかもしれない。もともと森の中の蒸留所としてスタートしているが、人と森がいい具合に共生し、世界でもここだけの環境をつくり出している。まだまだ猛暑が続いていたが、気持ちのよい森の空気があたりを包みこんでいるのだ。その森の佇まいを借景しているのが、新しくなったバーやセミナールームだ。文字通り森の中のバーであり、セミナールームで、不思議な和みを感じる。

 雲がかかって背後にそびえる甲斐駒ヶ岳は見えなかったが、そういえば先日テレビの日本百名山で、甲斐駒をやっていた。私が初めて登ったのは大学1年の秋。1972年11月下旬のことで、その時は日本一標高差があるといわれる黒戸尾根から登った。ちょうど白州の隣の沢で、登山口はたしか標高700メートルちょっと。甲斐駒の頂上は2,966メートルなので、その差2,200メートル。それを一気に登ることになるが、当時装備も粗末なもので、上のほうはアイスバーンになっている所もあり、たしか7合目か8合目の避難小屋で1泊し、翌朝登頂した記憶がある。まさか、その時、足元の白州の森で蒸留所の工事が行われているなんて、ツユほども知らなかった。

 翌1973年の正月元旦は、今度は北沢峠から入って、仙丈、北岳などを登り、甲斐駒の頂上から初日の出を見ることになった。大学1年、18歳の冬である。それから50年。もう山に登る体力は微塵も残っていないが、今度はウイスキーの取材で白州に戻ってくる…。人生、何が起きるか分からないものである。

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