ノックニーアンのインタビューと、アイラ島の名物ネコ、スシの大往生…
フェスが終わってからもハードスケジュールが続いている。気がつけば12月も半ばが過ぎてしまった。フェス、そして一社の説明会の翌日、10日の火曜日は渋谷の宮下パークにあるヘルムズデールにお邪魔し、次々号ガロアの編集長インタビューで、ノックニーアンのアナベルさんに話を聞いた。こだわりのウイスキー造り、アナベルさんの経歴、故ジム・スワンさんのことなどを伺った。
ヘルムズデールは、もともと私が以前足繫く通っていた名店バーだ。もともと日赤病院近くの南青山にあったが、店主の村澤さんがその後軽井沢にも店をオープンし、やがて南青山店を閉めてしまったので、村澤さんと会うのは久しぶりのことだった。ちょうど来年で私の『モルトウイスキー大全』が出版されて、丸30年となるが、当時都内でモルトが揃っている店として、村澤さんがいたウォッカトニックが有名で、ここにもよく行っていた。大全の本の表紙に写っているグラスは村澤さんに貸してもらったもので、いわば大全の生みの親のひとりでもある。
そんな懐かしい話もしながら、ガロアの入稿も迫っていたため、インタビュー後は事務所にもどり、ガロアの校正、編集作業。さらにウイスキーコニサーの教本、スコッチ編も校了してしまう。来週くらいには納品予定だ。ということで、教本が一段落した所で、しばらく中断していた『ジャパニーズウイスキー イヤーブック2025』の校正作業にも再び取りかかる。これも1月20日頃には入稿してしまわないといけないからだ。
と同時に、それと並行してアイリッシュのムック本、グラバーボトルのムック本も作ることにして、その編集作業もガロアが終わったらかかる予定だ。特にアイリッシュは、ガロアで過去にやった蒸留所レポートなどを中心に、すべてのアイリッシュの蒸留所、そしてボトルなどを紹介しようと思っている。とにかくアイリッシュに関する本がないので、これがアイリッシュを知る本になればと思っている。
グラバーのボトルは、現在49本までボトルが出ているので、これを1本ごとに見開き2ページで構成し、さらにトーマス・グラバー、倉場富三郎親子のストーリーも書いてしまいたいと考えている。ウイ文研にも、グラバーボトルは各1本ずつしかなく、すべて売ってしまったが、貴重な資料ともなるので、これはこれでムック本にする予定だ。そのうち4分の3くらいがジャパニーズなので、ここ3~4年のジャパニーズの変化も読みとれるかもしれない。
と、日々山のような仕事に忙殺される毎日が続いているが、八王子在住のMさんから、アイラ島のクリスティーナさんの動向が、この前メールで届いた。クリスティーナさんといえば、アイラモルトファンで知らない人はいないと思うが、私がアイラに初めて行った1989年以来の友人で、彼女の家も、そして100歳で亡くなった彼女のお母さんの家にも遊びに行ったことがある。
クリスティーナさんは元ボウモアのビジターセンターマネージャーで日本に来たこともあり、そのときは芸者のコスプレをして、大いに人を楽しませてくれたものだ。その様子はアイラの新聞『イーラッハ』にも大きく報じられたが、お母さんはそれを記念して、ちょうどその頃飼い始めた2匹の猫に、日本風の名前をつけたのだ。一匹がスシで、もう一匹がノリである。ただお母さんは実際に寿司を見たことがなかったのだろう。茶色の猫にノリ、そして黒色の猫にスシとつけてしまった。それは反対だと後で笑い話になったが、リリー・ザ・フィッシュ(お母さんのニックネーム)さんは、いっこうにお構いなし。茶色のノリは数年前に亡くなり、スシだけがリリーさんが亡くなったあとも、カリラ蒸留所で飼われていたが、そのスシが先月亡くなったというのだ。享年19!! 猫にしては長生きのほうだが、2年前に訪れた時は、カリラ蒸留所で、クリスティーナさんがスシを抱いて出迎えてくれた。そのスシもいなくなってしまった。
考えてみれば、私がアイラに初めて行ったのは35歳の時。その私も来年2月で71歳になる。もうじきアイラ通いが始まって36年。ノリもそしてリリーさんも、さらにスシも、もうこの世にはいないが、私自身は近いうちにアイラにまた行きたいと思っている。
最初に訪れた蒸留所がボウモアで、そしてそこで、クリスティーナさんやジム・マッキューワンさんに出会ったことで、今の私のウイスキー人生があるのだから。