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2日間の大阪フェスと、各部のサイン会で思ったこと…

 6月29日、30日と2日間、大阪フェスが開かれた。会場は昨年と同じATCホール。湾岸のサキシマにあり、隣は現在建設中の大阪万博の会場だ。ちょうどテレビで、コスモスクエア駅から先の万博会場までの海底トンネルの様子を紹介していた。

 ウイ文研スタッフは全員、前日28日の金曜日に大阪に移動。昼過ぎから設営準備。私は午後の新幹線で大阪に向かう。ちょうど線状降水帯が東海地方にかかり、再び新富士駅と静岡の間で新幹線が止まっていたが、昨年のようなことはなく、列車は約20分遅れで新大阪に到着。ホテルにチェックインした後、会場の準備をチェックし、夜は会場近くの居酒屋で軽く一杯。

 29日の土曜日は8時前に会場に行きオープンの準備。ウイ文研がこの手のフェスを初めてやったのは、もう20年近く前で、それ以来東京、大阪、名古屋、横浜、長野、山梨の清里と、ほぼ年に3回の割合で行ってきた。すでに60~70回くらいの経験を積んできたので、スタッフ一同、やることが分かっているし、準備も早い。それは出展者にもいえることで、10年前と比べて準備が非常に早い。予定通り9時15分に全体ミーティングを行い、10時10分前には入場開始をした。

 今回は初の2日間開催で、1部から4部まで分けていたが、1部・2部のチケットは早くに完売。3つのセミナーも、売切れだった。それに対して、日曜の3部・4部は、売れ残りがあり、4つ用意したセミナーも、珍しく売れ残りがあった。やはり2日開催の難しさを改めて感じた次第だ。来年から、もう一度考えないといけないかもしれないと思っている(来年はすでに2日開催は決定済み)。

 今回は、2部と3部で、マスター・オブ・ウイスキーの認定盾の授与式も行った。今回は一気に4人も合格者が出たので、2日に分けたのだ。また1部から4部の各部に20分だけだが、私のサイン会も行った。そのせいもあるのか、比較的いつものフェスより関連書籍が売れたように思う。なかでも『ウイスキー千夜一夜』と、ラダック、チベット関係の本が売れていた。

 よく考えてみたら、私がラダック(西チベット)に行ったのは1975年から1981年にかけてで、来年で50年、なんと半世紀になる。20代前半で書いた原稿が、本となり、それをウイスキーフェスに来た人が買って読んでくれる…。本当にありがたいことだと思うし、とりあえず生きていることにも感謝である。1981年の冬の旅の時、本当に死ぬような体験を何度もした。生きて帰れたのは運が良かっただけで、一歩間違えば、標高3500~5000メートルの厳冬期ヒマラヤ、インダス河の源流部で氷の下に落ち、そのまま凍死していたかもしれない…。そうであれば、こうしてウイスキーにも出会ってなかっただろう。

 その後、私は27歳で新潮社の『フォーカス』編集部に入り、33歳まで事件記者をしていたが、その時に手掛けたのが、「トリカブト保険金殺人事件」である。1986年のことで、それがフォーカスのスクープとなった。そのトリカブト事件も、その発生からもうじき40年となるが、今でも時折、テレビなどで特集が組まれる。その度に、当時事件を取材した私のところにインタビューに来るが、今回も8月のTBSの特番として、本日インタビューが入る予定だ。

 これも、翌1987年に私が新潮社を辞めてイギリスに行かなければ(そのままフォーカスにいたら…)、ウイスキーと出会うこともなく、私は今頃は新潮社を定年退職して、別の老後を送っていたわけで、人生とは、本当に何があるか分からないものである。フェスの会場で、ラダックの本にサインをするたびに、ふとそんなことも考えていた。…人生とは、なんとも面白い。70歳にして、そう思う。


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