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歴史の捏造ってヤバいよね

って話をしようと思います。
アサシンクリードの新作、シャドウズの制作・発表にあたり、制作大元のUBIソフトが色んな問題発言をばら撒いては大下手こいてるんですね。

内容としては、弥助という「黒人の侍」を主人公に据え、『史実に忠実な日本を描きました!』なんて大ボラを吹いた所に端を発し、その割に畳が正方形とか、家紋が変とか、ゲームのイメージ絵を発表してみたら、ススキとサクラと水田が同時に存在するわ、ガードレールや電柱に軽トラが存在してるわ、歴史的資料の写真を左右反転して貼り付けたような人がいっぱいいるわ、現代の鉄砲隊の会の幟旗がそのまま使われてるわ、写真撮影不可なはずの二条城の文化財がキリトリ改変されて福知山城内に存在するゲーム映像が出てくるわと、「どこが史実やねん!」という真っ当な批判で済まず、権利侵害も甚だしい目も当てらんないシロモノを出して来やがったわけですよ。

挙句、UBIのお膝元・フランスで開催されているJAPANエクスポでのUBIのブースに飾られていた主人公弥助の刀というのが、漫画・ワンピースのゾロが持ってる刀のレプリカ(Amazonで購入可)じゃねーか!というお粗末なもので、世界中で「なんやUBIお前、史実と言いながらこの体たらくはなんや、おおん?」と批判を浴びているわけですね。

過去にはノートルダム大聖堂の火災での消失にあたり、その復元にアサシンクリードの資料が使えるかも知れない!と称賛されたほどの歴史リサーチ&再現力のあったゲーム開発会社が、何故こんなことに?という詳しいところはマニアに任せます。僕が知るところの大まかな原因は、大リストラとポリコレの台頭ですね。

この辺りの事情を追わずにAbemaプライムで番組組んで、「表現の自由」なんて的外れな事をやってるマスゴミさんたちは、もう当てにならないのでほっときましょう。
司会の田村淳も、歴史好きを語っておきながら何も見抜けなかった(あるいは、番組をそうするようどこかに言われた?)ので、今後そうした話を言っていたとしても、何ら根拠のないその場しのぎということになります。
いやー、だってね、田村淳さんは今年の春に、俳優・真田広之氏と談話を交わしてるんですね。

ドラマ・SHOGUN
アメリカで大人気の小説に基づくドラマで、過去にもドラマ化されていたものですが、今回のドラマ化にあたり、主演の真田広之氏が全面プロデュースを務めており、「これまでの欧米にあったファンタジーとしての日本観を払拭する」所に膨大な努力を払ってるんですね。それこそ、現場とバチバチにやり合ったというエピソードがそこかしこから聞こえて来ていました。

だから、どこまでも本気の、歴史を重んじたドラマが海外で実現しており、これが大ヒットしたので、こうした談話が持たれてるんですね。

え?田村淳なんかそんなので批判されるの?オメーおかしくね?何でこんな話を持ち出した?

とお思いの方、いますよね。
違うんですよ。

このドラマ、ネットの一部界隈からブッ叩かれて、炎上してたんですね。
その炎上というのが。

弥助が出ていない

というものでした。

何故かあちらの界隈では、戦国時代には弥助という黒人の侍がいて大活躍しており、「『侍には一滴の黒人の血が必要だ』ということわざが日本にはある」みたいなデタラメ記事が吹聴されてたわけです。
これは一部界隈で歴史的事実だとして語られていて、それを元に「SHOGUNに黒人の侍・弥助が出ていない!これは差別だ!」と騒いでいた奴がいたんですよ。

当然、我々日本人からすれば「誰?」であり、
歴史マニアからしても「ああ、なんか織田信長が南蛮人から面白がって買った奴隷に刀与えたって話でしょ?」というだけの話だったんですよ。

それが、何故か「弥助という黒人の侍が武士階級を与えられて司令官を務め、大活躍!」みたいな話になっている。
そりゃおかしいぜベイビー、どこの与太話を信じたんだ?と日本のみならず、海外の歴史好きにも突っ込まれて、燃やした奴が出してきたのが…

写真!?
色々と酷い

いちいちまとめ動画リンクを貼らずとも、このサムネイルだけで察してほしい。
生成AIで作った画像を「証拠」と言い張って出してきたのだ。
当然、ツッコミが加速してこの話題は収束。捏造はダメだね、という顛末が、

SHOGUNにはあったわけですね。

わかります?SHOGUNの時点でこの炎上はあって、事情通だったら「弥助」は見聞きしていてもおかしくない。
まして、歴史的な考証を重ねて、衣装や背景のみならず、立ち振る舞いにまで気を配った真田広之氏にインタビューしておいて、です。

ハリウッドにおいての、これまでの慣習を打ち破り、「ファンタジー日本ベイベー!」で済まされ、自身も数々の作品でされたファンタジーJAPAN描写を、いち俳優が根回しまでやって「本当の日本をやる!」と貫き通したんです。これは大変な偉業だと思いますね。

田村淳はそこにもぬかりなく触れてましたねぇ。

ということで、僕はAbemaのアサクリ問題の番組の惨状を聞き「司会として何をしてたんだ?」と思ったわけですね。
作品に触れる上で、否が応でも入ってくるノイズがあったことに触れずとも、知っていてもおかしくない事でしたから。
むしろ、SHOGUNという作品を語る上での、地雷避けのために知ってたんじゃないの?と最大限に尊重して考えてます。
インタビュー自体は、作品を知らない日本人に向けた、素晴らしいものでしたから。

ま、そうした背景を知らなかったにしろ、田村淳や他の出演者は、歴史的理解を矜持とする世界的ゲームシリーズの不祥事に「表現の自由」で事を済ませようとしたのか?

こんな口上で、鯉口を切り問いただす…
…こういう話になってくるわけです。

事は、日本にいる或る外国人教職員のWikipedia改竄問題や、捏造書籍問題に発展しており、その該当人物は現在、あらゆるSNSを絶って消息不明になるという、国際問題になろうとしています。
はっきり言うと、素人の手に余る話ですね。
ドラマ、ゲームの問題が、今や歴史的捏造に発展しているんです。
歴史を好きと言う司会者ならば、安易な意見に流れる出演者を抑えて、場合によっては番組の意向すら超えて、せめてもの楔を打つべきだったのでは、と思いますね。

マスゴミが今マスゴミと呼ばれる所以と、そこに安易に乗る芸能人の問題は、ここまでにしましょうか。

さて、歴史の捏造に関して、日本は苦い経験があります。それも、比較的最近に。
従軍慰安婦問題や南京虐殺、いまだに整理のつかない国際問題もそうですが、僕はより自分の知る分野に近い、「旧石器捏造事件」を軽く語る事とします。
より知りたいと思う方は、Wikipediaの記事が手っ取り早いですし、割と良いまとめ方がされていると感じましたので、興味がある方は探してみて下さい。

要約すると、とある日本のアマチュア考古学者が、歴史的な発見を次々にし、考古学上の凄まじい業績を上げていたのですが、彼の手にかかったこれらの「歴史的発見」が、捏造であったと発覚した事件でした。
発覚したのが、西暦2000年と言う区切りの年であり、記憶の彼方に「あー、なんかあったな…神の手とか」と思い当たった方もいるでしょう。
しかし、あの事件が日本の学問というジャンルに与えたダメージは、とてつもないものだった、というのを知っている人はそうそうおらず、当時の一般人は知るべくもなかったはずです。

マスメディアでは「ゴッドハンド」という呼び名を当て擦ったり、実際世間もその潮流に乗っていて、当時はハナタレガキだった自分がようやく大学生になるかならんか、みたいな時期でしたが、歴史が好きだからこそ、こうした事件は無視は出来ませんでした。
このせいで、中国や韓国といった敵対的なアジア圏から、「日本は歴史を歪曲する」とあて擦られたのはもちろん、捏造を放置し甘やかした経緯を衝かれたあらゆる学会・国そのものも、大いに信用を失ったのです。
捏造を放置?となる方もいるでしょうが、当時はこうした発見を大いにもてはやし、地方復興の足がかりにしたり、発見に異を唱える声を無視し、総力でその人をスターに仕立て上げていたという実態がありました。
捏造された範囲というのは、確かに旧石器時代が中心であり、それ以降の捏造は不可能であるとされていますが、この人が関わったというだけで疑われ、存在を消された発見がひょっとしたらあったかも知れません。
当事者でなかった自分は推察するしかないのですがね。
ともあれ、日本の考古学はこうして、国際的な信用を失ったという経緯があったんです。

こうした問題があって、じゃあ僕たちは、他国の捏造の歴史を易々と見逃すのか?という問題が立ち上がってくるんですよ。
この弥助騒動の発端は、日本の大学にいる外国人教職員です。
アサシンクリードに関わってません、と言いながらガッツリ名前出して関わっていますし、インタビューで熱っぽく弥助について語る姿も残されているし、Wikipediaで自身の編集者名で「我こそは⚪︎⚪︎」と自己紹介し、自分の記事を立ち上げようとして注意されるぐらいに自己顕示欲の塊です。

バカにすんな!と立ち上がらないと、最早日本の歴史という学問がこいつ一人にぶっ壊されるところまで来ているんですよね。
だからこそ、ゲームやドラマを飛び越えた問題として、今SNSを騒がせているんです。
危機感って、大事ですよ。

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