「はなまるぴっぴのよいこ」は誰だ?
意味不明?難解?世間で物議を醸した難曲『はなまるぴっぴはよいこだけ』を批評します。
解りそうで解らない『はなまるぴっぴ』の世界観
少し前のコンテンツではあるが、アニメ「おそ松さん」の第一期OP『はなまるぴっぴはよいこだけ』について批評をしたいと思う。
「おそ松さん」は2015年に赤塚不二夫誕生80年記念として放映されたアニメシリーズである。赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」を原作としているものの、そのおそ松くんが成人になったら?というコンセプトに、没個性的であった主役の六つ子たちに尖った個性を付けて再構成した内容となっている。『はなまるぴっぴはよいこだけ』はそんな本作の内容を踏まえた上で、コナミデジタルエンタテイメント所属のコンポーザーである黒沢ダイスケさんが作曲、あさきさんが作詞を担当した曲となる。
曲調自体はややレトロ感も感じさせるポップソングといった趣なのだが、それに付随する歌詞は、抽象的な擬音や言葉遊びがふんだんに施されていて、ややもすれば電波ソングだと捉えてしまいそうになる(例えば「めろめろとけてぽぽんちゅちゅうさ」といきなり言われてその言葉の意味を理解できる人間はそう多くないだろう)。ただ、そのワードチョイスには一定の方向性が感じられ、解りそうで解らない、そんな世界観を産み出している。『はなまるぴっぴはよいこだけ』には、そんな難敵に挑戦して、その全貌を明らかにしたくなってしまうオタク心をくすぐる魅力がある。
しかし何の前提知識もないと、この『はなまるぴっぴはよいこだけ』の歌詞を読み解くのは相当に難しい。というよりも、如何のようにも解釈できるというのが実際のところだ。作詞担当のあさきさんは「どのようにも解釈していい。それが全部正解」という旨の発言をしているので、それは恐らく意図的でもあるのだろう。
だから今回は、なるべく意味を理解しやすそうな歌詞から全体の方向性を掴んで、そこから各箇所の歌詞の意味を自分なりに逆算して解釈していくという方式を取ろうと思う。いわば”曲全体のテーマ”という犯人に予め目星をつけて、そこから犯行に使ったトリックを予想していくという形である。
本当に「よいこ」なのは誰か?
歌詞全体を見渡すと比較的読み解きが容易そうなのは以下の箇所である。
一生全力モラトリアム
今日から明日は昨日の未来
よいよいころころ よいこらしょ
この世に要るのはよいこだけ
「モラトリアム」というのは「一時猶予・一時停止」を意味する言葉で、口語的には親に扶養されている学生などの立場のことを指す。さらにそれに「一生全力」というワードが付いていることから、そのモラトリアム期間を一生ずっと続けることをポジティブに捉えている様子も伺える。これは「おそ松さん」本編における定職に就かず、いつまでも実家に全力で規制を続けようとする六つ子の姿がそのまま重なる。つまり「一生全力モラトリアム≒六つ子」という図式である。またOPテーマというこの曲の性格も考慮に入れると、そのままこの『はなまるぴっぴはよいこだけ』という曲自体がアニメ本編内での六つ子のあり方を詩にしたものだろうということが予測できる。
一方でこの節の最後には「この世に要るのはよいこだけ」という言葉で締められている。「よいこ」というワードは、一生全力でモラトリアム期間を満喫しようとする成人男性から受ける印象とは大きく外れる。「よく」はないし「こ」でもない。このことから二つの解釈が考えられる。
① 「六つ子」と「よいこ」は対となる概念
② 「六つ子」を独自の解釈で捉えて「よいこ」と呼称している
「よいこ」を揶揄する六つ子たち
仮に①としてみた場合はわかりやすい。アニメ本編での六つ子たちは基本的に社会に斜に構えている存在であることを踏まえるこの曲の主役である六つ子が「一生全力モラトリアム」である自分たちを肯定し、「よいこ」を腐しているという方向性の解釈である。
全体的にこの『はなまるぴっぴがよいこだけ』には、意味をつかみ取りにくいナンセンスなワードが散りばめられているが、それはあたかも社会の「よいこ」たちを煽っているようにも思える。例えば「この世に要るのはよいこだけ」の直前の「よいよいころころ よいこらしょ」というワードは、赤ん坊をあやすように六つ子がよいこ達をからかっている感じにも捉えることができるし、またこの曲のタイトルの「はなまるぴっぴはよいこだけ」の「ぴっぴ」は、この世のよいこに与えられる「はなまる」をおちょくるための言葉だと、作詞家のあさきさんはインタビューで発言をしている。全てがそうだとは決して明言できないが、『はなまるぴっぴはよいこだけ』内にある比較的幼い言葉遣いをしている箇所は、概ね「よいこ」達を揶揄するために使われているようにも思える。
逆に「モラトリアム」「謀反戦」「時限式カラミティ」といった、比較的難解な用語を使っている箇所は、六つ子たち自身に関わる属性を指しているように思う。これらの言葉は同時にややマイナスめいた意味合いも強い。モラトリアムは先に触れたとおりだが、謀反戦はよいこ社会への反逆の意味合いに取れるし、時限式カラミティは今のままの状況が続くことでカラミティ≒大きな不幸が起こることを意味する言葉だろう。どれも六つ子達のいまの状況を示唆している。
よいこに向けては、ひらがなが多い幼児言葉のような揶揄、しかしながらどこかポジティブな言葉を向ける一方で、自分たちにはネガティブ、かつ比較的難解な用語を使っている。彼らを「よいこ」と認めつつも幼い手法で煽りを続け、自分たちを負け組と認めつつも何処か言葉で強く見せようとするのは、「世間には認められないが、自分たちは本当はよいこたちよりも賢く強い人間なんだ」という、六つ子たちの暗い自尊心が現れているように私には感じられる。
「よいこ」になりたい六つ子たち
ここまでは、「『六つ子』と『よいこ』は対となる概念という①の解釈で歌詞を考察したが、そこまで大きく外れていないだろうと思う。とはいえ、幼い言葉≒よいこへの揶揄、難解な言葉≒六つ子の自尊心という読み解きだけでは矛盾する部分もあると感じる。
憂いなおめめから 発射だ ぽーん
どうかなこれ 新型ギミック
あまりに革新的なひと
こちらの歌詞を見てみると前半の「憂いなおめめから 発射だ ぽーん」は、幼い揶揄言葉のように思えるが、それに続く「新型ギミック」は、明らかにその直前の「発射だ ぽーん」に繋がるものにも関わらず「革新的」という表現は、どちらかというと「モラトリアム」「謀反戦」といった”六つ子属性”の言葉のように思える。もちろん①で行った読み解きにも穴があるのは事実だが、ここでは②の「『六つ子』を独自の解釈で捉えて『よいこ』と呼称している」という解釈も加えてみたらどうだろうか。
本編三話の「自立しよう」では、両親の離婚話をきっかけに、自分たちが如何に「よいこ」かを幼く媚びまくってアピールするエピソードがある。あれは松野家という限定空間においては、あの六つ子たちの可愛げなどといった「新型ギミック」が効果があるという証左になるだろう。
またメタ的な視線となるが、あの六つ子たちのあり方は、多くの視聴者に広く受け入れられ「おそ松さん」はひとつの社会現象にまでなった。それは今までカッコいいキャラクターを受け入れてきた社会にとって「革新的な」出来事でもあったと思う。
つまり、六つ子たちは「一生全力モラトリアム」であることで社会に立ち位置を作ることができた「はなまるぴっぴのよいこ」という味方もできるだろう。
ファンの数だけある『はなまるぴっぴ』の世界
①と②の解釈はどちらかが正解で、どちらかが間違いというものではない。むしろあさきさんが言うように「どのように解釈してもいい、どれも正解」であるべきものだろうと思う。つまり、『はなまるぴっぴはよいこだけ』という曲は「世の中のよいこたちに屈折した嫉妬を見せていると同時に、そんなよいこのおこぼれに意地汚く乗っかろうとする六つ子たちの歌」と解釈することも可能だろう。もちろんこれは飽くまで解釈の一つでしかない。
この『はなまるぴっぴはよいこだけ』という歌には、アニメ本編や原作「おそ松くん」、さらに作詞家あさきさん自身の世界観も含めて考察していけば、もっと様々な解釈が可能だろう。その中にはクリエイター側が本来意図しなかったような解釈もあるかもしれない。しかし、そんな風にファンひとりひとりの『はなまるぴっぴはよいこだけ』が生まれ、それを全て正解としてくれる懐の広さが、この『はなまるぴっぴはよいこだけ』の大きな魅力になっているのであろうと私は思う。
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