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中学の頃、諦めた夢

3歳の頃から保母さんになりたかった私。

そんな私が中学生でなりたいと思った職業がある。

それが【乳児院の先生】。

小学校の頃の1つ年上の友人とバスで乗り合わせた時に
カトリック系の中学校に通ってたその友人が
乳児院でボランティアをしてきたという話をしていた。

そのボランティアの話を聞いた時に
これだ!!!と閃いた。

//
私、乳児院の先生になりたい!!!
\\

バスの中でその話を聞いた瞬間から
乳児院のことが頭から離れない。

//
乳児院の先生になろう!!
\\

そう決心するも、その気持ちは真剣に考えれば考えるほど
自分の中の矛盾と戦うことになり、
しばらく経つと諦めに変わって行った。


乳児院の先生=そこに暮らす子ども達のお母さんである

というのが私の中での大前提。

でも、乳児院の先生(保母さん)以外にももう1つ、
自分でも結婚して、子どもを産んで、
お母さんになるという夢も持っていた私。

乳児院の子ども達のお母さんであるはずの私が
時間が来たら別に帰る家があり、
そこには、自分がもしかしたらその子達よりもっと?
愛しているかも知れない家族、血の繋がった我が子がいる。

そう考えると、それは乳児院の子ども達にとって
裏切りでしかないと思ってしまう。

その子達にとって、お母さんは私しかいないのに
(ちゃんと考えたら、他の職員もいっぱいいるから、
 お母さんも何人もいるんだけど、当時はそう思ってた。)
私には、他にも愛する子ども達がいる。

乳児院の子ども達は、ただでさえお母さんと暮らせないのに
私は別の子のお母さんであっていいの?
それで傷つく子ども達は?

なんて、今思えばちょっと自惚れのような自意識過剰な私の責任感により
乳児院の先生になりたいという夢は数週間?数ヶ月?
くらいで諦めに代わり、
もし本当に私が乳児院の先生になるときは
私が我が子を産むことを諦めた時にしよう、
そう思ったの。

当時は自分で赤ちゃんを産んでお母さんになるという夢の方が
諦められない夢だったから
一旦封印した乳児院の先生という夢は
今でも私の胸の奥深くで燻っていて、
何ができるかと考え続けてきた。

ようやく見つけた私の夢の続きは
とりあえずは孤児院・乳児院・養護施設の
スタッフ(先生・お母さん)としての立場でなくても
外部スタッフとして、タッチケア(触れること)を伝えることで
中にいる子ども達に少しでも安心感を幸せを届けられたら。
これに向けて少し道も見えてきたので
実現に向けて動いていこうと思います。



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