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『四月になれば彼女は』の読書感想文で『春の恋バナ祭』に参加します💓

テルテルてる子さんのこちらの企画に参加します。
滑り込みですみません!
自分の経験値は低めなので、読書感想文で参加です。


少し前に、夜遅くまで開いている通りがかりの本屋さんで、川村元気さんの『四月になれば彼女は』を買いました。
夜中に読み始めて寝て起きてからまた読んで、買い物行きそびれるぐらい一気読み。
なんだかんだで、感想文の下書きを寝かせている間に映画が絶賛公開中になっていました。

映画も見ました。
原作の川村さんも映画の脚本に関わられていて、原作と少し設定が違ったり、スピンオフ的なシーンもあって、原作を読んだ人も別のストーリーを楽しめます。「大人の恋」を描くというテーマですが、「愛を終わらせない方法、それは・・・」というキャッチコピーでよりはっきりと押し出されているように感じました。
原作は恋愛倦怠期の雰囲気がとてもリアルに描かれていて大好きなのですが、映画は出会った頃のキュンキュンが多めな気がします。
小説も映画も、本物の恋をした時にだけ感じることのできる本物の切なさを、追体験させてくれます。

主題歌『満ちてゆく』は藤井風さんが担当。さらに、この新曲のMVも映画の監督である山田智和監督が撮ったことが話題になっています。
6分のMVはまるで映画のように人生が詰まっています。


ここでは、小説のほうの感想文を書きます。ふだん、私が読書感想文を書くことはないので、小学生のような文章になる予感‥そうなったら笑ってください!
ネタバレは気をつけます。本題からは逸れると思います。

川村元気さんの作品は初めて読みましたが、やはり「映画の人」という印象を持ちました。
世界じゅうの美しい景色、主人公達が撮る写真、物や表情の描写が精緻で色や形や動きのイメージが膨らみます。映像が浮かんできて、これは映画にしたいよね~と思わせる感じ。

でも、この小説は春の恋らしいパステルカラーの彩りではありません。あらすじを見る限りはガッツリ恋愛小説のはずなのに、読むとシンドイ。ほわ~♡とした幸せのおすそ分けはしてくれません。

登場人物はみんな苦しそうに誰かを愛している、あるいは愛しているのか解らない、それでも人は愛することを求めるーーー
愛するとはどういうことか?
愛されていることを確認できるのか?
そもそも何故恋愛感情を持つのだろうか?
恋愛感情は続かないものなのか?
それでも結婚しようとするのは何故なのか?
動物に恋愛感情はないのか?

映画の予告編でも
「愛を終わらせない方法、それは……」
と投げかけてきます。いやあ、考えるのシンドイ💦

まるで愛の求道者ですか?何ですか、その問いは!
胸キュンのラブストーリーと思っていたら肩透かしをくらいます。
恋愛小説というより恋愛倦怠期小説かも。
パートナーと倦怠期を迎えた人は考えさせられそう。
さらにもっと大きな視座で、自己愛を含む人間愛小説とも言えそう。

『四月になれば彼女は』は、ドラマチックな設定でありながら、イケイケの大恋愛とは一線を画している異色な存在感。たしかに「大人の恋愛」がテーマだ、と納得しました。
結婚間近ながらも倦怠期のようなカップル。お互いを思い、現状に悩みながらも冷めた関係を打開できずにいる・・・それでも愛を求めることをやめない人間という存在を温かく見つめます。

本書の端々で語られる「やはり恋愛は続かない」のか、という問い。
解っているけれど気づかないフリをしていたいのに、なんて大胆なこと!
恋愛の初めのときめき、一気に盛り上がる感動、互いの人生の交点とも思える充足感、ある時期のそんな強い喜びは持続できないと、多くの人が経験上思っていながら、遠い記憶を一生ものの愛とすり替えて幻想を見続けている現状。この小説は他人ごとではないよ、と迫ってきます。
リアルな世界でも、「みんな諦めている」にもかかわらず2人を繋ぎ止めている幻想の力は案外強いように思います。それは何故なのか?惰性や損得と言い切れるものなのか?

人を好きになる、相手のことも自分のことも真剣に知ろうとする、登場人物達がもがき続ける姿は無条件に感情移入してしまうほどシリアス。優秀で理性的であるがゆえに自分の感情には不器用な登場人物達が、喪失感に苦しみながらも愛を求める姿が愛おしいです。彼らのもがきを通して新しい可能性を示唆しているようにも思いました。
もしかしたら、いつからでももう一度始められるのではないか、と。
やはり恋愛っていいよね、と希望を感じさせてくれる読後感がすてきです。
不安感・倦怠感たっぷりの今の時代に、ピュアな風穴を開けようとしている作品と感じました。

そもそも、あかの他人との間に、一瞬でも愛し愛され満たされた記憶があるというのは幸せなことでもあります。
たとえ嫉妬する自分の醜さや哀しい別れの時が抱き合わせで襲ってきたとしても、愛を知らない人生よりはずっと豊かで自分を好きになれると思うのです。
愛される幸せや安堵感はもちろん喜びですが、もう一つの側面があるように思います。人を心から信じることができた自分を知っている、人を真剣に愛せる自分を覚えていたい、言い換えれば自己信頼というものを獲得しているかどうか。諦められないのは自分自身なのかもしれない。。。
結局、自分じゃん!って話になってしまうけれど。

さらに話はとんで、余談になりますが、、、

現実問題、今の時代は恋愛するのが難しい環境になったと感じます。
真面目に暮らしていても、睡眠も食事もろくに取れずにバイトや課題や奨学金に追われる大学生が増えているご時世。恋愛にエネルギーをかける余力が残っていないのではないでしょうか。そんな彼らに「若いんだから恋をしろ」なんて私は言えない。。。
社会人になると、なおさら自分の時間は少なく失敗は許されない環境に置かれるのですから、理性が恋愛を遠ざけてしまいそうです。
しかも、環境が以前と大きく変わりました。ハラスメントへの警戒感が強く、自分が加害者になるかもしれない恐怖を抱えざるを得ない社会。
そして、もし好きな人と付き合い出したとしても、結婚の行く末に希望を描けなくなっているとしたら、結婚は目標にはなりません。
さらに、自由になるお金も時間も減るデメリットを考えると、負担の大きい子育てに”チャレンジ”する不安はとても大きいでしょうし、「子どもを産まないのなら結婚はしなくてもいい」と考えるのもしごく妥当な気がするのです。
希望を見出しにくい時代、支え合う人がいることを望む気持ちは強いでしょうけれど、フィジカルな関係が絶対的に必要とは限らず、まして子孫を残すことに不安を感じるほどの時代。性別問わず長く信頼関係を保てるのなら友達でいいし、そもそも性別の枠がどんどん曖昧になるのは自然な流れなのかもしれません。
愛のカタチは恋愛にこだわらない、それでもいいなあ。

話が逸れすぎました。
そうは言っても、今の時代も恋愛感情は自然に発生するもの。人間に生まれたのだから、感情を持っているのだから、恋愛にうつつを抜かす体験はなかなか他では味わえない感覚なので、のーてんきなバブル世代代表の私は恋愛推奨派です。
ラブストーリーなんて物語の世界でしょ、と決めつけないで、映画館に行ってみるのも悪くない。ピュアな愛に涙するかもしれない。感化されるのもヨシ!
せっかくの人生、愛を与える喜びに生きていた記憶を持っていたい。それがあるのと無いのでは天地ほどの差があるように思うから。

ヘッダーは、みんフォトでAKIさんからお借りしました。
原作をイメージして林檎の花の画像です。

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