見出し画像

「本を語る」2024/7/25「怨霊と縄文」


❶[1BOOK]
「怨霊と縄文〜日本学の饗宴」
梅原猛著 朝日出版社 1979年10月155日初版発行

❷[POINT]
未来の饗宴〜さまよえる縄文 アイヌへ向かう軌跡
① おそるべき三輪山の存在
三輪というのは恐ろしいところです。だから、あの絶大な力を振るった蘇我氏でさえも、三輪の山へは入り込めなかった。明日香というところは、大和の全体からみれば、南の端で、新開地なのです。蘇我氏は、ほんとうは桜井のほうへ行きたかったのだが、入れてもらえなかったのです。それで、高市郡の新開地、今来郡の新開地に都をたてた。藤原氏も三輪には困ったらしく、ずっと迂回して北の端へ行った。三輪のほうへは近寄れないので、北のほうの奈良へ行ったのです。

② 『古事記』の狙い
『古事記』は、この三輪の神様からの解放を大きな狙いとして編纂されたといってもよいでしょう。三輪神様が中心だったら、律令制は困難なのです。『古事記』や『日本書紀』では、伊勢の神をアマテラス中心にしているのです。しかし、『古事記』といえども、多分に三輪のような霊の世界が入らざるをえない。『古事記』は宗教改革の書です。
少数民族の天皇家とその一族が、たくさんの原住民を支配するのだから、はじめこそ、三輪神を立てたわけだが、律令体制の確立期というときになって、この古くからの人びとに崇められてきた三輪をつぶす必要があった。伊勢の神を立てて、三輪の神を出雲に流す必要があったのです。

③ わたしの古代学の行方
とにかく、徹底的に言語の研究と宗教の研究をやる。
大和朝廷は、ずっと瀬戸内海から占領して行ったが、結局、西の果ての薩摩や隼人、あるいは三輪山とその周辺、さらに東の方の蝦夷といったように、支配の及ばない地域が点々とあったと思います。

❸「本を語る」
高校時代に、「隠された十字架」という本を読んで以来、古代史に興味を持ち、今も友人から、万葉集についてレクチャーしてもらっています。
[思いついたこと]
すでに「哲学者」としてそれなりの地位と名誉を手にしていたにもかかわらず、自分の「好奇心」から「法隆寺の謎」に挑戦、学会からの総スカンを食らっても自説を貫き、古代史に、そして日本人のルーツを探求し続けた「梅原猛」さんに拍手を送りたいと思います。
[そして]
この本は、「法隆寺」から始まって、万葉集の歌人「柿本人麻呂」、当時発見されたばかりの「高松塚」、そして日本人のルーツとしての「アイヌ」へと自論を展開していく途中において、集中的インタビューに答える形で出版されました。この中で、私が一番注目したのは、すでに50歳を過ぎた梅原氏が「徹底的に言語の研究と宗教の研究をやる」と宣言していることです。
[しかし]
いくら学者さんだからと言っても、一方では大学の学長という肩書を持ち、それなりに多忙だったと思われる時に、このような「新しい目標」を持ち、確実に研究を重ねていったことに、感服するとともに、見習うべき点を見出したのです。1980年代の平均寿命からすると、今は10年以上も伸びており、還暦を過ぎても元気な人間の方が多いご時世となりました。70歳で「前期高齢者」75歳を過ぎてようやく「後期高齢者」となります。
[だからこそ]
「もう年齢だから」という言い訳は通用しません。いくつからでも新しいことを始めることができます。「地方に住んでいるから」というのも「オンライン環境」が整ったいま、「いつでもどこでも学問はできる」状態になりました。ぼーっと生きている場合ではありません。自分なりのテーマを持って、学び続ける姿勢を貫きたいものだと、つくづく思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?