なんかを噛み砕く

長い1日が終わって、お布団に入るまでのあのぼーーっとしてる時間で最近自分のnote読み返すんだけど、そのnote達はまるで過去の自分の殻のような感覚がして、読んでる私とは別人な気がして止まないの。ただ今はその時の気持ちのモードに入ってないだけ?わたしのいろんな一面の中の1つを見て確信できない驚きが体の周りをふわふわ纏ってる感じ?ずっと何言ってんだって感じなのは1日疲れて今お布団に入り、足元で寝てる猫ちゃんを蹴らないように変な態勢で寝っ転がってるからであって、未来のわたしがこの文を読んだら書き直したくなるのかしらーなーんて思ったり。ちょっと脱線しちゃったけど、このひとつの熟語や、当てはまる既存の言葉にできない気持ちって大事な気がするんだよね。わたし1人だけが気づいちゃった気づき的な。
島で出会った友達は、「なんか」って大事だよって言ってた。
「なんか好き」
とかもう、言葉で表せられないくらい好きなのと一緒なのよって教えてくれた。それからわたしはわたしの中で生まれた、捕まえて言葉の檻に入れれない気持ち達を大事にしてる。わたしの深ーいところに沈んだこの言葉と共にね。

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