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Re:Start 2024/06/23(番外編)

 今月はいろんな事がある。自分のことなら65歳になって
「なにがめでたい!」と佐藤愛子先生ばりに喚いていた。年金や年金基金の手続き。そして、落ち着いていたはずだった喘息の予兆がチラリ。

 亡父が戦時中沖縄にいたことで、玉砕の日ということは毎年、彼の地に想いを馳せる。陸軍内の空軍だったのでね、父は。陸士だったので、写真、いっぱいございます。
で、沖縄でのことは亡母や鬼籍に入られた戦友や、戦後のサナトリウムの友人からいろいろ聞かされたし、その苦しい胸の内も垣間見たことはある、程度。なにせ私が高校生の時に逝ってしまったから本人から直に聞いたことはなかったので、推測するしかない。

 んで、この間ちょっと思ったことをつらつらと。
 介護問題。
 最近、「介護の過酷さ」とか「親を捨てる」とかネガティブキャンペーンかと思ってしまう。中には本当に大変だった方もおられるから一概には言えないが、私だって思いましたよ。

 早くに父を亡くし、二十代半ばで母が身体障害者になって、そこから息つく暇もない「介護」と「仕事」の両立。ただ、母が倒れた時は「介護」なんて言葉はまともに機能してなかったし、そういう問題は現在のように大っぴらに言わなかったから、必死に看病して面倒をみるという感覚だった気がする。
 母と私は親類中が「あんたんところは母親と娘が逆だったらよかったのにね」と言われ続けた。母には精神的にも肉体的にもそれくらい手がかかった。
口を開けば「死んでやる」「殺してくれ」「なぜ助けた」という類の罵詈雑言が飛んできた。わがままな母・・・。
 精神的な虐待といえばそうなのかもしれないが、鈍感力の塊のような私でも、そんな母の罵詈雑言を右から左に流せるようになったのは介護を始めてから20年以上経ってのことだ。
 同窓生たちからも「おかーさん、捨てな」と、よく言われたけれど、当の本人にはなかなかピンと来なかった。これも鈍感力のなせる技かと。
どこかで「介護」という感覚が欠落していたのかもしれない。なぜなら、頭の隅に呪いのようにあった、幼い頃から亡父に言われていた言葉。
「女親は仲が悪くても娘といる方がいいんだ」
勝手に先に逝ってなに抜かすんだ、とは思っていたけれど(苦笑)。

 そのせいか、最近よく上梓される本に「親を捨てる」という事がテーマになっていて、YouTubeにも上がっていたりするのを見ては、少々ウンザリしている。
 確かにネグレクトを受けてきたり、親になっちゃいけない人の元に生まれてしまった人は大変だったのだと思う。そこを基準にしたら我が家は、まだマシな方なのだろうが、世界に向かって叫ぶことなんだろうか・・・?
 私も母との関係は完璧に良好であったとは言えない。むしろ、時折殺意すら抱いたこともあったが、世界に向かって叫ぶことはしなかった。

現在の「親を捨てる」問題に関して、誤解を恐れずに思うことは「後世の子供達に伝える義務」「ねえ、聞いて聞いて」に近い感覚を持ってしまうのだけど。いかがなもんでしょ?


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