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【無慈悲な運命】ひとりぼっち


みんな、いつも仲良くしてくれて本当にありがとう。𝕏でみんなと仲良くしたり、自分が本当に言いたい事を言える環境が最高だよ。


私のこと、知ってくれて、応援してくれる人が増えてきたから、自分の過去をしっかりみんなに伝えて知っておいてほしいと思って書いてみた。

私の過去を知って、私のこと嫌いになったりする人もいるかもしれない。
でも、本気で応援してくれる人には絶対に知っておいてほしいの!

聞いたうえで応援するかも考えてね...。

ちょっと長く、重く、暗い話になるかもだけど...最後まで読んでね。


——話は幼少期まで遡る。


幼少期

私の家は、母と父、双子の妹の4人家族。
はっきり言ってごく普通の家族で、あり溢れた幸せな生活をおくる家族。


当たり前にみんながしてるような生活をしてた。今おもえば、あの頃の幸せをもっと噛み締めておけばよかった。


妹とは本当に仲良しで、どこ行くでも手を繋いで遊びに行ってたし、物は共有、同じ布団で寝てた。同じ歳だけど私のことを「お姉ちゃん」って頼ってくれた。


本当に今でも愛してる。
彼女はもう居ないけど...。


家族の運命がひっくり返ったのは、
私が小学4年生のとき。
ある日の学校終わりに、妹と一緒にいつもの帰り道を歩いていたとき、帰り道には大きな欄干橋があるんだけど、欄干橋に人だかりができてて、みんな下を覗いてザワザワしてた。

警察の人とかが河原に居た。どうやら、女の人が橋から飛び降りて亡くなったらしい。


私達も下をのぞいてると、

突然、「まみちゃん!?」
と呼ばれた。


友達のお母さんもそこに来てて、私達を発見して青ざめた顔で、声を震わせながら近寄ってきて私達に何かを伝えようとしてた。


「ツラいだろうけど...うぅ..ごめん....ね」
「あなた達のお母さんがね...」



——目の前が真っ白になったことを覚えてる


「なんで?なんで?なんで?」
「なんでお母さんなの?」
「意味がわからない」
「朝、玄関で妹と二人同時にドアから出ようとして狭ってたのを、お母さんと私達3人で笑い合ってたじゃん」

一瞬で頭の中で駆け巡って、フッと意識がとんだよう。気がついたら家の布団で目覚めた。

あ!夢か!と、思って襖を開けたら、父と妹と叔母と遠戚?の人達が何人かでテーブルに座っていた。

「あぁ...夢じゃないんだ」


一瞬で悟った。

家のこと、私達子供の事、全てを支えてくれていた母が居ない。
もう絶望しかなかった。

そんな気など微塵も見せなかった母がなんで...

これは、大人になってから叔母に聞かされて知ったことだけど、父は女遊びが激しすぎる人で同じ町内の女でもひっかけて、わざわざお母さんに見せつけてるんじゃない?てぐらい、酷いものだったと。


それでも、お母さんはいつかはこっちに気持ちを戻してくれると信じて献身的に父と子供達のために生きてた。

でも、実は叔母にも言い寄ろうとしてたらしく、叔母は拒否して、叔母から密告を受けて、その時点でお母さんはもう精神的に限界を迎えたんじゃないかって。


叔母も話を聞いてたから、気づいてたのに何もしてあげれなかったと泣いていた。


あんなゴミ父親だから、この後に起こる悪夢も起こりえたんだなって思う。


地獄のような生活


お母さんが死んでから、3人暮らしになった。
私と妹は6年生まで最悪な生活をおくることに。


父は、母が亡くなってから仕事には行っていたけど、帰ってきてはお酒に溺れていた。当然、気性は荒れて、暴力を振るわれるようになった。

暴力よりも辛かったのは、ご飯が食べれなかったこと。父は、朝と夜のご飯なんて作ってくれない。

私達姉妹は、ほぼ学校の給食だけで食い繋いでた。おかわり沢山して、パンとか隠して持ち帰って、家で食べてたりした。


学校がない日は最悪だった。
家では食べれない。

近所の文房具屋さんのお婆ちゃんが可愛がってくれてたから、それとなく行って家に転がりこんで、お菓子とか色々食べさせてもらってた。
あとは、友達の家にわざわざ遊びに行って出されたおやつとか。


正直、私は家には帰りたくなかった。だから、小学校で半強制的に入らされるクラブ活動?(ほぼ友達と遊んでるだけ)とかあったから、バスケをやってなるべく放課後の時間を伸ばしたりしてた。


妹は体が弱いからクラブとかには入らず家に帰ることに。妹を1人にした事、これが今も悔やまれる。


6年の卒業が間近のある日、学校のあとクラブ活動のため体育館へ行って、ある事に気づいた。


「今日、体育館シューズ忘れてたぁ」

家に帰りたくはないけど、その日はあきらめた。久しぶりに早い時間に家に帰ることに。


家に着いて玄関のドアを開けようとすると、
鍵が閉まってて開かない。

「あれ?なんで?誰もいないのかな?」

うちには呼び鈴がなかったから、仕方なく縁側にある出窓のほうに回り、鍵が開いてる窓を探して、1つだけ開いてたからそこから中へ。


父と妹を呼ぶけどシーンとしていた。


おかしいなと思いながらも、手を洗いに家の奥にあるお風呂場の洗面台に向かうと、お風呂の中から、

「ンンン...ウゥ.....あ”ぁ”ぁ」

という父の声が聞こえてきたから、

「ヤバい!お風呂入ってて苦しくなっちゃったのかな?」

って思って、お風呂の方を見たらドアが少し空いていて、そこに目を向けたとき、、



そこから見えた光景に背筋が凍った





妹が....泣きながら…
父の....を咥えてた...


え?


え?なにコレ?


"心臓がバクバク鳴っているのが聞こえる"
"ハァ…ハァ苦しい"
"妹を助けなきゃ"
"足がうごかない..."


何もできず、怖くて息を殺して見てると
父が無理矢理、妹に壁に手をつかせて後ろをむかせて腰を動かしはじめた....

妹が

「あ"ぁ"ー!ングゥ...いだぃぃ!」

と聞いたことのない声で悲鳴をあげていた。


私はすでに恐怖で失禁してた。
そして、吐いてしまった。
その音で父が気づき、慌てて妹から離れ...
その時、父が何かを言っていたんだけど何も覚えてない。どうせ言い訳を言ってたんだろうけど。

記憶があるのは、いきなり妹が苦しみ出したときから。


お風呂の中で、「ギィィッ!ウゥゥググゥ...」
と奇声をあげながら、体を痙攣しはじめた。


溺れてしまうと思い、私と父でお風呂から上げた。


でも、おかしい...
妹は体を硬直と痙攣を繰り返しながら、目を大きく目を見開いて奇声を上げ続けていた。


父に「救急車よんで!」と叫んだけど、父は立ち尽くしてブルブル震えながらおびえていた。
私は急いで、近所の友達のお母さんのところに行き、家まで来てもらい救急車を呼んでもらった。


父は私が友達の母を呼びに行ってる間に妹を置き去りにして家から逃げていた。
それから、友達の母が色々なとこへ電話をし、救急車が来たときに私と一緒に病院へ向かった。


子供の頃だったから詳しく覚えてなかったけど、妹は精神的に酷いショックやストレスを与えられて、頭がおかしくなったみたいな感じだった。でも、先生が言うには妹があんな事をされてたのはあの日だけではなかったのでは?と。

思い当たる節はあった。6年になってから、妹の性格ってすごく暗くなっていたし、いつも怯えたような目をしてた。

毎日のように、「お姉ちゃん、クラブやめて一緒に家に帰ってよ」って言われてた。
時には泣きながらの日も...。

激しく後悔した。妹のそばに居てあげればよかった。異変に気づいてたのに見ないフリしてた。絶望で涙が止まらなかった.....。


私も、それから精神的にキツい日が続いてた。
寝ても悪夢ですぐ起きてしまい、夜中に1人で恐怖で泣いてたりした。


妹はあの日以来、喋れなくなり、毎日虚な目でボーっとするだけの人形のようになってしまった。病院を転々として、隣町の精神科の病院で過ごすことに。


私は、叔母の家にお世話になることに。
児相とか絡んできたり、自分はどうなってしまうんだろって不安だったけど、叔母が気にかけてくれて本当によかった。


あの日から程なくして、父が見つかり警察に捕まり、しばらく出てこれなくなった。
「ゴミ野郎くたばれ!」と毎日願っていた。

願いが通じたのか、私が中2のときに父が出所した後、関西のほうに移り住んで、移り住んだ先で自◯したと話を聞いた。


何も感じなかった


そして、中3の夏....


——病院からの電話

——嫌な予感しかしなかった

——妹が病院の階段から落ちて亡くなった

——ふざけるな

——精神科病棟って事故起きるほど緩いの?

——私のたった1人の大切な家族だったのに

——どうしてくれるの?

——なんで私からすべて奪うの?

——あのクソさえ居なければ

もう...イヤだ..。




「ひとりぼっちになっちゃった...」



あの日の虚無感、絶望感を忘れない



正直、19才ぐらいまで私は引き篭もり同然だった。叔母の家で育ったけど、あの地獄のような日々は私の心を根こそぎ奪っていた。


19才になる頃に、叔母の家を出て(家出)、彷徨っていた。何することもなく、街をうろついて、自転車を盗んで少し遠くにいってみたり、お金ないからまたひもじい思いもしたりした。


ウロウロしてると、ナンパとかされるわけで、その時に当時42歳のオジさんに拾われて、ご飯食べさせてもらったり、家に泊めてもらったりするうちに、一緒に住むようになった。

その人は、娘を見る感じだったのかな?
私に無理やり手を出したりはしなかった。


本当に親身になって私の将来のことも考えてくれたし、叔母のところにも、一緒に行っていきさつとか安否を伝えてくれた。


こんなこともあって、オジ好きになったのかな?て感じる。
父とは違う、真っ当な男性、頼りになる男性だった。

後々には男女の関係にはなったけどね。


天涯孤独に近い私を救ってくれた人。
今でも感謝してる。


今は自立して自分で何でもできるようになった。彼とは別れて、また1人になり寂しくなっちゃった。


だから、SNSで出会いを求めるようにもなった。そこで、皆んなと出会えて今めちゃくちゃ楽しいよ!


リアルでは言えないこととか話せるし、
ここのほうが素直に生きられる!


本当に大切な場所になってきてるし、
これからも皆んなと繋がっていたいよ。
本当にオジ様が大好き!!!


でもね、、、SNSで裏垢やってても、素敵な男性となかなか巡り会えないの。ていうより、皆んなのリアルが見えてこないから全然選べないんだ。裏垢で女の子と会いたいなら、今のままだと一生会えないし、私も選べない。

男の人からも、裏垢女子と会えたことない!
とか、めちゃくちゃ悩みくる。


私もこの現状をどうにかしたい!

でも、皆んな忙しいし、どうやったら裏垢で女性からウケるようになるかとか分からないと思うし、調べたりするの大変だと思う。


だから、以前ポストしたけど、裏垢女子として経験豊富なNさんに会いに行って、参考になるお話しをいっぱい聞いてきた!そして、私なりに皆んなが裏垢としてスタートラインに立てるようにまとめてみた!


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ここまで読んでくれて本当にありがとう!

みんな、本当に大好き🫶

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