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なぜ「ヌエボ葉山丸」なのか?〜瀬戸内海の大三島と葉山〜(ヌエボ葉山丸航海日誌)

この「ヌエボ葉山丸」航海日誌は、2023年1月1日に出港し、2024年秋分に葉山町制100周年(2025.1.1)記念出版を目指す航路おいて、企画者であるまみーた(大澤真美)が記すものです。

この航海日誌は、航海の周辺事項も扱って行こう思う。と言うのは、瑣末的なことの中に、物語の鍵が眠っていることがあるからだ。そして、そういう小さなサインの積み重ねが、見えなかったつながりを立ち表してくれるものであると感じている。

船の名前の「ヌエボ葉山丸」としたのは、意味がある。2021年10月広島を訪れた際、友人に薦められて、瀬戸内海に浮かぶ大崎上島の庭火という宿に泊まった。その宿のオーナーまっつん(神職でもある)に、帰りがけに寄るべき場所のことを聞いたら、隣の大三島に行くといいよというので、何の前知識もないまま車ごと船に乗って訪れた。

大三島(愛媛県今治市)は、瀬戸内海に浮かぶ島で、伊予国一宮。鷲ヶ頭山を神体山とする大山祇神社(大山積・大山津見)があり、全国の山祇神社や三島神社の総本社だということだった。由緒を見ると、大山祇神は、山の神、かつ海の神で、日本国土全体を見守る総鎮守と言われたそうな。イザナミとイザナギの間に生まれ、子どもの木花之佐久夜毘売は邇々芸命と結ばれて天皇の系譜をなし、孫にあたる櫛名田比売は須佐之男命と結ばれて出雲の神々の系譜をなす。

立派な御神木や本殿を参拝し、奥宮にも足を伸ばした後、時間があったのでこの神社に付属している海事博物館に行ってみた。そして、扉を開けて、最初に目に飛び込んで来たのが「葉山丸」という船だった。何でここで葉山?

そもそもこの海事博物館は、別名「葉山丸記念館」と言い、生物学者でもあった昭和天皇の御採集船を保存するために建てられたものだった。葉山丸は第二次世界大戦中、瀬戸内海江田島の海軍兵学校に移され終戦を迎え、海の神として海軍が大切にしていた大山祇神社に預けられたという。その後、一度御採集船として、昭和天皇の元に戻るが、第一線を退くに当たって、この博物館が作られた。

まさか、偶然訪れた大三島で、葉山の名前に出会うことになるとは思わなかったし、こんなに深い関係があるということも知らなかった。また、葉山町には2つの大きな神社、森戸神社と森山神社があるが、森戸神社の御祭神は大山祇神で、静岡の三嶋明神の御分霊を祀り、森山神社は先述の櫛名田比売が御祭神。両方とも海と山に囲まれている大三島と葉山。相模湾には、四国を通る黒潮も流れ込むが、一方で葉山から大三島に船が届いていることを思うと、より太い・深いつながりがあるように感じられる。

そして、今回、葉山町制100周年を記念する本の制作に向けて、出発しようとした時、なぜか「出港」という言葉が頭に浮かんだ。同時に、その航海を記録することをしたい気持ちが湧き上がってくる。さて、船の名前はどうするか?そう思った時に、「葉山丸」以外にありえないような気がした。葉山町制100年は、おおよそ昭和100年。大正天皇は葉山御用邸で崩御され、御用邸で「昭和」という年号が決まり、昭和天皇が践祚(皇位につくこと)されている。この本は、激動の昭和という時代を捉え直す要素もあると思っているので、スペイン語の「新しい」を意味するヌエボをつけて、「ヌエボ葉山丸」としたのだった。

参考
http://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/oyamatsuminokami/
https://blog.canpan.info/koho/archive/154
「ふるさと歳時記(一)一町長のみたわがまち葉山」

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