それを掬ってビンに集めて いつか花にあげる日までとっておくよ。
こないだ、姪っ子の赤ちゃんの顔を見に行ってきました。
わたしの、いちばん小さな姪っ子が、ママになってて、主婦になってて、いろんな感情があふれて泣きそうでした。
この姪っ子を助けるために、どうしたらいいのか、真剣に取り組んでいたときがあった。
いつでも受け入れる覚悟はできていたし、そのために日常の平穏を失ってもしかたないと思っていた。
いつでもおいでって言うだけじゃ全然足りなくて、強引に連れ去るわけにもいかず、いろんな手立てを考えた。
でも、彼女が来てくれない理由が遠慮ではなくて、自分を縛ってるものへの優しさだってことがわかってから、わたしはどうしたらいいのかわからなくなった。
結局、彼女の心を開くことができなくて、傍観するしかなくなった。なにもできなかった。
あの時もっとこうしてたら、もっとずっと前に行動してたら、とか、いっぱい後悔した。
いっぱい傷ついた分、その傷を癒すための行動がどんどんエスカレートしていきそうで、ほんとに心配だったけど。
こんなふうに、どうにかなるものなんだな。
もちろんそれは、自然にどうにかなったわけじゃなくて、いっぱい苦しんだからの、今なわけで。
まわりから見てたら、危なっかしくてハラハラしたし、本当はダメなこともたくさんあったと思う。けど、それは必要なジタバタで、彼女なりの自己表現。
苦しかっただろうなあ。
うちのキッチンで、一緒にルイボスティーを飲みながら、「わたしとうわの空ちゃんは合うかもー」ってふわふわ笑ってた姪っ子を思い出して、そのふわふわの笑顔のままで、赤ちゃんを抱っこしてたことが、とっても嬉しかったです。
まだ、今が「結果」じゃないし、これから先の未来に、苦労もたくさんあるんだろうけど、とにかくここまできたことに、おめでとうの乾杯をしたいです。
ほんとにおめでとう。
タイトルは羊文学のうた。
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