音は耳に残るけど、声はもっと違うとこで記憶される(そして思いがけないタイミングで再生されがち)。
母が母の弟のことを、ゆうちゃんって呼ぶので、わたしはその叔父のことを「ゆうちゃんおじちゃん」と呼んでいた。
母と叔父が、ゆうちゃんとかお姉ちゃんとか、ちゃん付けで呼びあってるのがおもしろかったから。
ゆうちゃんおじちゃんは絵が上手で、いつも公園に油絵を描きに行っていて、わたしの家にも山が湖面に映ってる絵が飾ってあった。
ゆうちゃんおじちゃんは、尺八も得意だった。
そのせいではないと思うけど、ゆうちゃんおじちゃんの声は楽器の音みたいだった。不思議に内側にこもる感じで、すごく好きだった。
ゆうちゃんおじちゃんの家は、母の実家だから、お正月にはみんなが集まった。駅から坂を下って角をたくさん曲がって、寒い寒いと言いながら家の中に入ると、ゆうちゃんおじちゃんはこたつに手まで入れたまま、「いらっしゃい。」ってにこにこ言った。その声から始まるのが、わたしのお正月だった。
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わたしの親友が、わたしの母がわたしの名前を呼ぶ時の声を、覚えてるよって言ってくれた。
声を覚えてるってなんて素敵なんだろう。
友達が、わたしの母の声を覚えててくれてるって、なんてあったかいんだろう。
空の上での、「いらっしゃい。」って、「来たよー」って、そんな姉弟の会話を思った。
わたしにとって、言葉は声。
歌じゃなくても、メロディがある。
わたしは何度も思い出す。真似しても、説明しても、絵を描いても、絶対誰にも渡せない、だから、絶対誰にも取られない、宝物。
言葉は、宝物。
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