見出し画像

共同親権賛成とヤングケアラーの緩和、親を見送るということ

 私は共同親権に賛成しています。いま現在の日本人の生活様式を鑑み、妥協案、折衷案として賛成するといったところでしょうか。右派やアナキスト達が志向する江戸期のような地域共同体、つまりみんなで子供を育てる社会は、日本にゴジラが襲来し、インフラや文明が破壊されない限り取り戻すのは不可能ですよね。お醤油がキレても近くのコンビニで購入できるといった便利な生活環境がある以上、隣近所と親しい間柄にならなくとも生きていけるわけです。日本で古から発達した慣習や文化は日本の地勢、風土があったからこそ。砂漠地帯であれば、別のものに変わっていたでしょう。以上の前提を踏まえれば、共同親権に反対する理由がどこにありますか。8時間労働に従事しながら、シングルで子供を育てるのは並大抵のことではありません。私の夫は父子家庭育ちです。義理父は家業の土建屋を切り盛りしながら、息子ふたりを育てました。義理母は義理父の口座をすっからかんにし、婚約指輪など金目の物は回収して、勝手に家をでていきました。義理父は相当な苦労を経験されたと思います。一人で息子ふたりを育てあげたことは偉大な行為だと尊敬しています。ただ一点。仕事で忙しい義理父に代わって、家事を切り回していたのは小学生だった夫です。小学三年生から家事を切り回していました。勝手に妻に出ていかれた義理父に罪はありません。そして、当時の日本は戦時下ではありませんでした。戦争中、総力戦ともなれば、小学三年生の男の子がヤングケアラーとして家事を回していたのも仕方のないことですが、戦後の日本、経済大国にものぼりつめたのに、ヤングケアラーの少年少女が存在するのは社会と構造の問題ですよね。先に述べましたが地域のみんなで子育てする社会は日本が焼け野原にならない限り戻ってきません。ならば、制度が原因として妥協点を模索するしかないのです。


 界隈では親権は親の権利と認識されているかの如く議論されていますが、親権は両親の義務なのではないですか。義務という視点で考えれば、離婚後も父親、母親が育児を担うのは当たり前です。月の半分はママの実家で暮らす、半分はパパのアパートといったふうに、両親が離婚後も子供の育児の為に歩み寄る努力は義務と言ってもいい。夫の母親はこの義務を果たすことなく、義理父に全てを押しつけ逃亡しました。日本の法律や制度はこんな真似を許しているくせに、両親の離婚後であっても、片親が亡くなったあとにその処理を担うのは子供という存在です。情で通じ合うこともなかった親の後始末を背負わなければならない人間の感情を想像して欲しいですね。片親が精神病などで育児が困難であるといった状況でも、その両親、つまり祖父母が子供の育児を担ってはいかがでしょうか。片親ひとりにだけ育児を押しつけるのはおかしいです。片方が子供と過ごしている間に、もう片方は恋愛を楽しむこともできるでしょ。恋人との旅行も可能になるやもしれませんね。ママが遊んでいる間に、子供は放置され死亡する事件も防げるかもしれません。因みに、私自身は自分の子育てに於いて、頼れる実家の存在がありませんでしたので子育ては諦めました。今時は誰もが子供を産まなきゃいけない、産み育てる環境が整わない星の元に生まれた運命を呪わなければいけない程に、女性の人生の有り様は狭いわけではありません。国を挙げて、女性がきらきらする社会を推し進めているわけですし、おすし。


 女性陣はおしなべて子育ては大変だと仰る。ならばその義務を離婚後も男性に背負わせるべきでしょうね。それぞれ職場の環境もありますから、離婚後育児を完全に折半するのは不可能な方々もいらっしゃるでしょうし、あくまで理想の形ではありますけれども、何十年も会っていない片親が死亡した際の子供の気持ちは熟考して欲しいですね。ひとがひとり亡くなると、残された遺族は気力をフル回転させ、火葬やお葬式に取り組まなければなりません。私は両親を見送っています。その故人はせめて生前情を交わした相手であって欲しい。じゃないと、乗り切れないですよ。


 最後になりますが、日本国に於いて、どの子供も健全なる環境で健やかなる体と精神を育んでいく為の財源やコストを惜しむべきではありません。子供達がいなければ、われわれ大人は存在している意義はなく、それこそ日本が消滅してもなんら問題ないですよねという発想に繋がってゆく。共同親権の為に必要な職場環境、福祉などを考え、よいものは追加していくべきです。一労働者として中流のパパママが揃っている家庭の負担を背負うのは嫌ですけど、貧困層やシングルのパパママ達には協力していきたいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?