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書くことは、自分のため


いしかわゆきの
「書く習慣」を読んだ。





書くことがすきだ。

幼い頃、「書きたい」という欲のために
字だって独学で書けるようになった。
(その欲求は、家族への手紙に費やされた)


過去に家族へ宛てた手紙を見せてもらうと
文章はめちゃくちゃだし、内容に関しても
恥ずかしくなるぐらいひどいけど
私らしくて、すきだな、と思う。



Instagram、note、X。
便利なツールが沢山出てきて、いつでもどこでも思いを発信出来るようになった。

こういう風に見られないと。
こんな風に言ったらダメなんじゃないか。
こういう書き方にしないと読まれないんじゃないか。

いつしか自分の本心を書けなくなっていた。

書くのが億劫になっていた。


誰か、とは一体誰のことで
誰の目をきにしていたのか??

書くことが
誰かのため、というエゴになっていたのだ。



自分のために書く、ことは
嘘偽りない本心なので
誰に読まれなくたっていい。


でも、それを読んだ誰かが
私の文章に励まされたり
悩みに寄り添って励ますことが出来るかもしれない。

自己満足なようにみえて

それが本当に誰かのため
になり得るのかもしれない。

だから、書く。

すきだから。忘れたくないから。


誰かの目にとまり
同じ想いを共有することができたなら
それはそれで幸せです。














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