第6回「価値の転換が起こりうる場をつくりたい」

僕は障害者福祉の仕事に就くまで、障害者とどう接したらいいかわかりませんでした。就職活動に軒並み失敗し、自暴自棄に陥ったぼくは、何となく福祉の仕事を探し、何となく障害分野を選び、何となくいま働いている法人をリクルートサイトで見つけ、何となく説明会に参加しました。その説明会でお聞きした理念や活動に共感したのと、実習で出会った脳性マヒのおっちゃんが大好きになったのと、親の会社に就職したくなかったという理由で、いまの職場で働くことになりました。

働き出して数日後、重度といわれている知的障害の人と一緒に10時間くらい外出するおしごとをしました。彼の意思と実際の行動の相違を表現する彼の方法は「痰を吐くこと・叫び声を出すこと・自分の頭を叩くこと」が中心で、自分の常識をはるかに超えた状況を体験しました。カルチャーショックを感じたし、この仕事に就いたことを少し後悔しました。その数日後、気管切開をし、人工呼吸器を使用しながら1人暮らしをしている人の入浴介護をしました。入浴の際は手動式人工呼吸器(アンビューバック)に付け替え、1人がアンビューバックを押しつつ上半身を抱え、もう1人は下半身を抱え、入浴用ストレッチャーに移乗し、1人がアンビューバックを押し、もう1人は身体を洗っていきます。これもびっくりしたし、少しのミスが生命の危機にかかってくるという怖さを猛烈に感じたのを覚えています。

最初はやっぱり障害者とどう接したらいいかわかりませんでした。でも数日、数ヶ月、数年と重ねるごとに、たくさんの障害者と出会い、知り合い、過ごし、仲良くなっていきました。
そういうプロセスを経ることで、少しずつ障害者とどう接したらいいかわかってきました。

障害のことを知らない→知っている
障害者のことなんて関係ない→関係がある
僕の生活において障害者を意識しない→意識する
そして、障害なんか全く関係なくなるくらい、1人の障害者と個人と個人の付き合いをし、友達になったことで、障害者とどう接したらいいかわかるようになりました。っていったらおこがましいけど、障害があっても障害を意識しなくなるというか。障害関係なしに、好きな人だから仲良くなる、苦手な人だから仲良くならない、そんな関係性を築けるようになりました。

「バリアフリー・ユニバーサルデザインの推進普及方策に関する調査研究 - II バリアフリー化推進に関する国民意識調査について」という文献に載っていましたが、高齢者・障害者を手助けしない理由のほとんどが「かえって相手の迷惑になると思う」と「手助けしても対応方法が分からない」でした。これは接する機会がない、知る機会がないからなんじゃないかな。

障害者のことを知らない→知っている
障害者のことなんて関係ない→関係がある
生活のなかで障害者を意識しない→意識する
そういう価値の転換が起こりうる場をつくることが僕の目標。それを実現し継続することを通して「障害が特性以上に障害にならない」社会をつくりたいです。

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