サウナにおける自分旅行

今でこそサウナブームではありますが、自分はずっと前からこの空間が好きでした。特に好きなのは、最新のきれいで新しいサウナ施設ではなく、どこか年季が入っていて一癖ある地方のカプセルホテルのサウナ。

ただの入力、「ととのう」という体験だけではなくその場所、歴史、一緒に過ごす人の生活、自分の過去、今後を考える時間としてとても貴重な時間だと思ってます(もはや確信に近い)

それは自分が心地よいものだけを選んで生活することができるように鳴る現代において「共同で使う場所」という意味で自分の完成を試すことにもなる。

こういうものが好きだな。この作法は嫌い。この人の動き方は気が利いている。音のしない歩き方だな。会話に品があるな。汗の吹き方が素晴らしい。など。

はたまた自分と向かい合う時間にもなります。これはいわずもがなですかね。。情報にまみれて、色々な価値観やしがらみの中、時間を消費ひ続ける身をほぐす場所として入浴施設が自分に返してくれる領域はとても大きいです。ネットの普及によって「全く何もしない」という環境が減りつつある仲、物理的に何もできなくなるだけでも、少し癒やされているのかもしれません。そして、サウナを出る頃には色々考えて、頭も体もスッキリしている。

哲学を語るつもりはもうないですが、自分と向か向かい合う貴重な場所としてサウナを捉えている身としては、「サウナブーム」に乗じてくる人よりも、一人じっと汗を流すおじちゃんに憧れるところです

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