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強迫性障害のこと

その名前を初めて耳にした。
”強迫性障害"。

調べてみると、"手を洗っても洗っても不潔に思えて何度も洗ってしまう。無駄なことだと分かっていても辞めることができない。" と、ある。

ピンとこない。私は手を何度も洗ったりはしていない。

これから綴るのは、私の強迫性障害の発症のきっかけと症状についての記録である。

2023年11月。仕事中に突然、過呼吸が起きた。涙も止まらない。一旦退席し、気持ちを落ち着かせデスクに戻ろうとしても、手が震え文字を打つのもやっとだった。エディタを見るだけで吐き気とめまいがする。
精神科にて診断されたのは強迫性障害。

強迫性障害は、発症から受診までの平均が10年らしい。
10年というと…もしかすると24歳くらいから、この病気との長い付き合いが始まっていたのかもしれない。

発症のきっかけとなった価値観を振り返る

価値観1:自分の性別や学歴への劣等感
中高時代。我が家は教育について無関心な家庭で育った。
塾に行きたいと言っても「教科書があるでしょ」と言われ、高校受験では滑りどめの私立受験さえ反対された。特待生に入れば無料だからと説得して私立も受験したが、特別進学コースに進学した所で、大学に行かせてもらえないことくらい分かっていた。
父親の言い分はこうだ。
「女が賢くなっても可愛げがないだけだ。」「料理ができないと結婚できない。」と。
私は県内で一番就職率の高い商業高校を選んだ。学科は家政科。家政科であれば父親も応援してくれた。
これは後に自分の劣等感として悩み続けることとなる。

本当は理数科に進学したかった。
自分が好きだった分野を、父親にも少しは認めて欲しかったな。

価値観2:女性のキャリア形成の難しさ
10年前。私は当時結婚する予定だった男性の影響で、転居&転職する。せっかく入社したメーカー直営企業をあっさり退職した。
転職先では採用やマネジメントにも携わり、女性のキャリア形成についても学ぶ。女性のライフイベントに対応したキャリアを築くには、スキルと時間単価を上げて、働く時間が短くなっても、生活に必要なお金は稼ぐという考えだった。その為に、独身時代はスキル向上に特化せよってこと。
当時仕事に没頭しすぎて、気づいたら彼と破局していたのは笑い話だ。

後にマッチングアプリで良い出会いがあり結婚。仕事も家庭も順調だった矢先、第一子を死産、第二子を初期流産する。
私の価値観が目まぐるしく変わったのはこの時である。

キャリア形成の為に仕事を続けていいのか?ハードワークのせいで死産したのではないか。私は仕事に没頭することでなんとか自分を保っていた。
この一連の出来事が強迫性障害の入り口だったのかも知れない。
 
後に夫の都合により転居の話があがり、結局私は離職することとなる。
また転居?男の都合で女は仕事を辞めないといけないの?
子供ができても仕事と家庭を両立できるように頑張ってきたのに。
女性のキャリア形成とは一体…?

努力がいつしか異常行動へ

2020年夏、プログラミングに出会ってから、これを仕事にしたいと本気で思った。ゲーム以上に楽しいし、家庭の事情に左右されることなく一生続けられるのも魅力的だった。

未経験30代子持ちの就活はそんなに甘いものではなく、「家政科?(クスッ)」と鼻で笑われた日もある。そんな中で採用してもらった会社には今でも感謝している。

思えば最初にプレッシャーを感じたのは内定の時だった。
"フルリモート"
当時の計画では未経験から実務を3年積んで、子供が小学生になるタイミングでフルリモートの働き方を検討する予定だった。未経験の自分が提示されるとは思いもしなかった。嬉しい反面、未熟な自分がこのような待遇を受けていいのだろうかと正直悩んだりもした。
「待遇に感謝して、もっと努力しよう!」と心に誓った。

当時1歳と3歳の子供を保育園に通わせながら、9時-18時のフルタイム勤務。
疲れてはいたが、エンジニアとして強くなりたかったので、夜は22時-0時ごろまで学習を継続していた。
転職前は夜中の2時まで学習していたので、辛いとかそういう気持ちは全くなかった。エンジニアの中では学習時間が少ない方だと思っている。

しかし疲労は確実に溜まる。
2023年2月頃〜子供の体調不良の頻度が増えていった。
看病の日は病児保育に預ける為に仕事時間を調整したり、夜中に子供に起こされたりで、私の睡眠時間は実質3-4時間だった。

睡眠が短いと当然、学習効率も落ちる。
「あれ、自分こんなに頭悪かったっけ?」と思うことが増えた。
今思うと、睡眠不足で勉強しても頭に入ってこなかったり、思考停止しやすくなっていたのだろう。

【休職3ヶ月前】2023年8月 基本情報技術者試験に不合格


勉強しても成果が出ず、ただ焦るばかり。
やばい…もっと勉強しなきゃ。

ここで留めておけば、私はただの努力家だっただろう。
みんなに励まされ、元気を取り戻したが、この頃から勉強することが少しずつ執着に変わっていった。

週末は机で寝落ちする日もあった。
夫が家事を手伝ってくれないとイライラするようになった。
「あなたが家事を手伝ってくれたら、私はその分勉強できるのに!(怒)」と。家族の時間を奪ってまで強迫行動(勉強)をするのも、この病気の特徴だそう。

こうやって時間を割いては学習する中で、経験値が上がっていくのも実感した。この瞬間が本当に嬉しかったし、仕事は楽しかった。もっと強くなりたい。もっと色んな仕事を任せてもらいたい。この気持ちに嘘はない。

原動力がポジティブだったので病気だとは気づかず、徐々にエスカレートしていく。キャッチアップに夢中になって食事を忘れることも増えてきた。
身長156cm、体重は40kgを切ろうとしていた。流石にまずいと思い、ひと段落したタイミングで暴飲暴食をしていた。

【休職2ヶ月前】2023年9月
この辺りからメンタルバランスを崩している自覚がある。

思うように結果が出ない時は自分に苛立っていた。この時期からたびたび焦燥感に駆られるようになった。わからないことに時間を取られると、頭の中で「チクタクチクタク」と時計の針の音が聞こえるような感覚。
やばいやばいやばい時間が!!!
この感覚に恐怖を覚えるようになった。この時点で病気だったのだと思う。
キャッチアップの時間を確保する為に、夜にシャワーを浴びるのは時間が勿体無いと感じるようになり、シャワーは昼休みに浴びるようになった。昼休みに勉強すると、業務効率が落ちるので、この時間は唯一学習しない時間だったからだ。
食事はほぼ作らなくなった。冷食や宅配、外食が中心だった。思えば、"女性は料理をすべきだ" という幼少期の反骨精神もあっただろう。料理は私がしなくてもいい仕事だと割り切っていたし、家事は全て外注して、自分にしかできないこと(育児と株と技術)に注力したいと考えていた。
女性特有の症状ではあるが、この頃、生理不順と不正出血も酷かった。子宮頸がん検診も受けたが異常なし。今思えば、身体が悲鳴をあげていたのにもっと早く気づくべきだった。

【休職1ヶ月前】2023年10月
時間をさらに有効活用する為にもAIの活用にも注力していた。ChatGPT-4を使い始め、その精度の高さに驚いた。GPT-3.5の時は正直、「自分はAIを使いこなす側の人間」だと思っていたし、所詮古いビッグデータに過ぎないと思っていた。GPT-4ではデータも新しい上、Webブラウジングで最新データを拾ってくることができる。すぐにでも自分の仕事も奪われてしまうのでは?という恐怖すら感じるようになった。
と同時に「すでに自分は誰からも必要とされていないのでは?」という感覚に陥った。


今思えば、「自分は必要な存在である」と肯定したくて、骨髄バンクに登録したのかもしれない。
駆け出しエンジニアというのは無力である。だが同時期にエンジニアになった人達もそれぞれ葛藤している時期だったので、「こんなもん」と割り切って、コツコツと学習したり打開策を思案したりし続けた。
10年以上前から、仕事の時はメイクと髪のセットを欠かさなかった私が、気づけばすっぴん髪ぼさ、ジャージにメガネで仕事をしていた。これも精神疾患患者によくある兆候らしい。リモートなので、この変化に気づけた人はいないだろう。鏡越しに変わり果てた自分を見て「少しはエンジニアらしくなったかな」と軽く捉えていた。
(※身なりを整えているエンジニアの方々ごめんなさい。)

【休職2週間前】
この頃から眠れなくなっていた。
頭の中では常にロジック整理やバグの解決方法、技術の学習の方向性など悶々と考えていた。何も閃きがないまま寝落ちして迎えた朝は、恐怖しかなかった。別に誰かに怒られる訳ではない。時間がすぎるあの感覚が恐怖なのだ。
いつしかその恐怖を払拭する為に学ぶようになっていた。キャッチアップの時間は全ての恐怖が払拭できたし、実際に知識が問題解決に繋がった時の成功体験が病気を悪化させた。
深夜0時すぎ。そろそろ眠ろうと思ってPCを閉じても、気づけばまたPCを開く。それを何度何度も繰り返す日もあった。布団に入っても結局深夜遅くまでスマホで情報を読みあさってしまう。

「こんな深夜にやっても無駄だ。明日やろう」と思っても、1分後にはキャッチアップをしていた。これが強迫性障害だ。
よく寝て、朝起きて続きをやればいいと頭ではわかっている。けど、やめられないのだ。

キャッチアップでも、いつの間にかザッピングができなくなっていた。端から端まで情報を頭に詰め込まないと気が済まない。読書の斜め読みもできず、時間がかかるようになっていった。変なこだわりも増え、疑問が生じるとそれを解決するまで頭が切り替えられなかった。納得がいかないことも増えていった。今思えば凝り固まった思考になっていたのだ。

当時の様子について夫はこう語る。
「PCと一体化してたよ」と。
やかましいわwww

2023年11月
こんな生活が何日も続けられるはずがない。
ある日些細なことで突然、過呼吸が起きた。涙も止まらない。手が震え文字を打つのもやっとだった。さっきまで使っていたエディタを見るだけで吐き気とめまいが襲った。

強迫性障害。
せっかく採用してもらったのに申し訳ない。
昨日まで元気だったのに。
たくさん教えてもらって少しずつできることも増えてきたのに。
ここまで頑張ってきたのに。

涙が止まらなかった。

振り返ってみて思うことだが、「突然」ではなく「必然」だった。
もっと早くにこの病気の兆候に気づき、お薬を使ってでも睡眠を取れていたら…。結果は違っていたかもしれない。

もう考えるのはおしまいにしよう。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。