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『ラブ・アクチュアリー』20周年、非現実的なクリスマス・クラシックが今でも愛される理由は?

今年もまた観てしまった『ラブ・アクチュアリー』。ワム!やマライアが避けられないのと同様、イギリスでは地上波で繰り返し放送されるため、これを観ずにクリスマスを迎えるのは非常に難しい。あれから20年、時代は変わり、今では思わず眉をひそめてしまうようなくだりもあったりで、何かと物議を醸しだしているが、実際観始めたら途中で止められなくなるのも事実(内容や結末はすでに知っているというのに!)。BBCに、このクリスマスの定番に関する(軽い)考察コラムがあったので、一部要約。

『ラブ・アクチュアリー』20周年:物議を醸したクリスマスの名作にまだ恋してる? by Yasmin Rufo(エンタテインメント記者)

20年経った今でも、リチャード・カーティスが2003年に制作した『ラブ・アクチュアリー』が、物議を醸しこそすれ、クリスマスの名作であり続けているのはなぜか。クリスマスに愛を告白するミドルクラスの登場人物たちが織り成すロマンチックな物語だが、批評家、視聴者、そして映画関係者の一部からも毎年厳しい批判を浴び、非現実的な愛の描写、疑問の残る登場人物の決断、時代遅れのジョークなどが指摘される。しかし、監督・脚本を務めたカーティス自身こそが、この作品にはかなり批判的で、彼は毎年クリスマスになると、新たな後悔をリストに加えているらしい。彼は、昨年のキャスト・リユニオンで、この映画が「時代遅れだと感じる瞬間がある」こと、そして「多様性が欠けていることが不快で、少し愚かだと感じる」ことを認めた。おそらくそれが、フェスティブ・バラエティ番組『クリスマス・アクチュアリティ』のオープニングで、空港でハグをする人々のモンタージュを使い、ヒュー・グラントのナレーションで、愛はクリスマスだけでなく、ディワリ、イード、ハヌカでも分かち合うものだと伝えた理由なのだろう。カーティスはまた、”もはや笑えない”fat-shaming(肥満であることをバカにする)ジョークを盛り込んだことで、自らを”観察能力不足”と呼び、最終編集でLGBTのストーリーをカットしたことで”自分を失望させた”と語っている。

ノスタルジックな輝き:誤った判断や失言があったにせよ、多くの観客がクリスマス映画に求めているのは、『ラブ・アクチュアリー』が提供しているような、観やすく、居心地の良いクリスマスの舞台と臆面もない愛の祝福なのだ。「私はクリスマス映画に、社会的政治を描いた傑作を期待していません。安っぽいロマンスであればいいのです」と映画評論家のヘレン・オハラはBBCに語っている。「素晴らしいキャスト、誰もが好む本当に素敵な瞬間、陽気なジョークなどが満載だから、悪いところも隠されてしまう。今観てもノスタルジックな輝きを与えてくれるのです」と彼女は付け加える。この映画の中にどれだけ本当の愛があるのかについては議論が分かれるところだが、ヒュー・グラントがザ・ポインター・シスターズの1983年の曲『Jump』に乗って首相官邸内で踊るシーンは、誰もが認める最上級のコメディーだ。大げさで、甘ったるく、ばかばかしい愛のジェスチャーが受け入れられれば受け入れられるほど、この映画はより楽しめるのだ。英首相がクリスマス・イヴの夜に、警察のエスコートで "the dodgy end of Wandsworth(ワンズワース地区の危険な貧困エリア)"まで行って、官邸スタッフであるナタリーに愛を告白することは絶対にないだろうし、A3のキューカード(カンペ)を使って親友の妻に愛を告白する人間ももちろんいない。しかし、ありえないと分かっていながらも、映画を越えて生き続けるのは、こういったアイコニックなシーンなのだ。コリン・ファースが池に飛び込み、ローワン・アトキンソンがデパートで”過剰包装”をする販売スタッフとしてカメオ出演し、ヒュー・グラントが壁に掛けられたマーガレット・サッチャーの肖像画に恋愛のアドバイスを求めるなど、この映画には素晴らしく、奇抜で、奇妙な瞬間がある。

事実、この映画のヒットを利用して、2019年の総選挙で、「来年までにブレグジットを完了させる」と宣言し、キューカードのシーンをパロディ化したのは、リアルなボリス・ジョンソン元首相だった。


では、『ラブ・アクチュアリー』長寿の秘訣は一体なんだろう?

クリスマスだ。

他の時期であれば、下らないストーリー展開やおざなりな愛の行為、時代遅れのジョークに対してもっと批判的になるかもしれないが、クリスマスには「もし探してみたなら、愛はいたるところにあふれていることに誰もが気付く…僕はそう思っているんだ」というヒュー・グラントのひたむきな楽観主義に心を許してしまう。


とまあ、すべてはクリスマスだから、で締めくくられるという、オチの無いオチでコラムは終了している。非現実さ加減はその域を出ていると思うが、現実に絶対起こらないって分かっているからこそ、そのありえなさを楽しむという見方もできるだろう。甘ったるい愛のジェスチャーも、クリスマスだからというよりなにより、愛する者同士の心が通じ合い、さらには一緒になれるのは、観ていてハッピーになれるし、大げさな演技や不必要な演出をバカバカしいと思いながらも、同じところで毎回泣く自分を発見したり。

ちなみに私の号泣シーンはこれ。

この時ばかりは、アラン・リックマン殺すと思ったね(RIP)。余談だが、エマ・トンプソンは、この作品でバフタにノミネートされた。

ここまで書きながら、私も特に感想などにはオチもなく...。今年も観てしまったよ、というご報告でした。






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