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世界なんか知らなくていい

インターネットは便利だけど、
世界が見えすぎてしまって(見えすぎてしまっている気がして)、息が苦しくなるときがある。

だれかの考えや行動を四六時中閲覧できるようになって
情報処理が追いつかない、のほうが正しいのかな。
この人はこれに賛成で、あそこに行ったらこんなに美しいものに出会えて、こっちでは応援してた政治家が叩かれていてネガティブな素材になっていた。
わたしがやる気のない1週間を過ごしているあいだ、あの子は新しいやりがいを見つけていたらしい。

海の向こうでは森が焼かれ、動物が死に、政治が動いて、ロマンチックなプロポーズに祝福が集まって...
より広い範囲を「知っている」こと自体に価値があるような。
目の前を疑わないよりはいいのかもしれないけど、自分との対話も終えないままに外の情報ばかり重要視されてしまうなあと思う。
自分が何を好み、何に怒り、悲しみ、愛するのか。
足元もよく見ずに遠くばかり見てしまう気がする。

SNSを見ると、大半は、幸せや美しい部分をかいつまんでアップロードしているので
なんだか日常が素晴らしくなければいけない気がしてしまう。
10時間眠ってたった10分読書しても、
#本のある暮らし #まったり読書 #最高の休日 とか言って丁寧っぽく切り取れるのにね。

同じことは各メディア(テレビやネットニュースとか)にも言えることで
この記事だってそうだけど、結局はだれかのフィルターで切り取った、現実と想像のミックス。信頼できるあの人のポストだってそう。
真実はいつもヒトの数だけある。事実はひとつだけど。
真実 と 事実 については、けっこう好きな話題なのでまたゆっくり書きたいです。


ヒトのフィルターをそのまま使い回さないで、鵜呑みにしないで
その中の事実だけを掬い上げてみる。

でもさ、アイデアは生まれやすいかもしれないけど
本当は、そんなにたくさん知らなくたっていいのかもね。
自分の実態さえわからなくなるなら、
自分の価値さえ疑ってしまうなら、
心理テストが好きなのに、今日のムードさえ感じられないオートマチックになってしまう前に

世の中ね、役割分担なので。
わたしの夢を誰かが少しずつ叶えてくれていて、わたしのささやかな生活の中に、だれかの理想が輝いている。
世界は少しずつわたしで、わたしはすこしずつあなたなので。
全部やろうとしなくていいよ。
安心して今日も好きに生きようね。


追伸、大好きなアーティストのMVキャプチャを使ったんだけど、怒られるかな...??


まみ

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