不便を楽しむ。その①ーふろおけ選手権
「幸せってなんだろう…」
突然ソクラテスモードに突入し、答えのない哲学を延々と考えはじめては眠れない夜を過ごすことが、ままある。(※多分、人よりソクラテス多め)
最近みつけた「幸せ」に対するひとつの答えは、不便を最大限、楽しみに変える工夫そのもの。
それって多分、人間的幸せのひとつなんじゃないかと思う。
「不便を楽しむ」なんて、掃除機も洗濯機もない時代の人からしたら贅沢いってんじゃねーってキレられそうなものだけど、ある程度の制限のなかで工夫を重ねて暮らしを創造する楽しみって、なにものにも代えがたいものじゃないか。
例えばだけど、私が密かに楽しみにしているマイブームが「世界ふろおけ選手権」たるもの。ご存知ないだろうが、無理もない。
世界選手権とはいえ出場者は、今のところ私一人なのだから。
お風呂の残り湯を洗濯に使いたいがために、風呂桶で何度も洗濯機に水を運ぶのだけど、その際、頭の中で「世界ふろおけ選手権」が開催される。審査されるのは主に下記3点。
・フォームの美しさ
・水をこぼしていないか
・難易度の高さ
私は難易度高め・スクワット運動を加えたフォームで、節水と筋トレの一石二鳥を狙っている。
一人で全神経を集中し「いかに美しく、風呂桶で水を運ぶか」に全力を注ぐバカバカしさよ。
「節約のためといって、節水ポンプを買ったら負けだ!」(節水ポンプ代取り返すのに、節水代にして一体何ヶ月かかるのかという疑問)
そんなこだわりによる「不便」を最大限の楽しみに変えたのは、ほかでもない自分自身というのがちょっと誇らしい。
美しいフォームで風呂桶を操る姿のバカバカしさは半端ないけど、そのときの幸福感は計り知れないから、やめられない。
工夫次第で身の回りのマイナスをプラスに転じる。それは、お金で解決するのとは明らかに違うもの。まさに、お金では買えない幸せ。
お金で買える幸せは「有限」だから、どうしても「不安」もつきまとう。
一方、日常の些細なことや不便なことをみつけて、そこに幸せを見出す能力を身につければ、「安心」と「幸せ」が手に入る。
そんな気がして、今日もまたふろおけ選手権に望むのです。
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